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総合格闘家|摩嶋一整さん

会社員で格闘家! RIZINで活躍する周南市出身のファイター。

01.ヒト

1991年、山口県周南市生まれ。徳山小学校、住吉中学校を経て南陽工業高等学校へ進学。卒業後は周南市内の企業に就職し会社員に。2012年、20歳の時に運動不足解消とダイエットを目的に、山口県では数少ない総合格闘技ができる毛利道場に入門。その後、全日本アマチュア修斗選手権大会に出場するなど実績を重ね、2013年、21歳でプロデビュー。2015年には修斗ライト級新人王と敢闘賞を、2018年にはRebel FCフェザー級の王座を獲得するなどと活躍を続け、2020年にRIZINと契約。現在も会社員を続けながら、毛利道場所属の総合格闘家として活動中。趣味は音楽鑑賞と映画鑑賞。

02.モノとコト

今回は周南市出身の総合格闘家、摩嶋一整さんにインタビュー。摩嶋さんは周南市で会社員として働きながら、格闘家としてRIZINの大舞台に立つ、言うなれば「サラリーマンファイター」。そんな摩嶋さんに総合格闘技を始めたきっかけやプロデビューするまでの道のり、夢や目標についてお話をお聞きしました。

兄の影響で3歳から柔道を始める。

現在、総合格闘家としてあのRIZINの舞台で死闘を繰り広げる摩嶋さんですが、実は高校までは柔道一筋。3つ上の兄の影響で3歳から柔道を始め、南陽工業高校柔道部時代にはインターハイと国体にも出場しています。南陽工業高校といえば、いろんな運動部が全国的に活躍するスポーツ強豪校としても有名。柔道部の練習もさぞ厳しかったのであろうと当時のことを尋ねてみると、意外な答えが返ってきました。

「それが、厳しかった記憶はないんです。僕が覚えている限り、柔道部はそれぞれが自主的に練習する雰囲気でした。僕ももちろん頑張ってはいましたが、どちらかといえば、いかにサボるかに情熱を注いでいたような気がします(笑)。」

「思えばそんなに柔道は好きじゃなかったかも…」と冗談を言いながら当時を振り返る摩嶋さんですが、柔道の経験は総合格闘技をする上で、とても役立っていると話してくれました。

「柔道のおかげで体づくりができていましたし、いろんな技も柔道の基本を身につけているから繰り出せる。今の僕にとって柔道経験は大きな宝となっています。」

高校を卒業した摩嶋さんは、地元・周南市の企業に就職。柔道はスッパリと辞め、会社員として日々を送ります。そんな摩嶋さんが総合格闘技の世界へ足を踏み入れたのは、意外な理由からでした。

仕事を終えたあと、ダイエットのために道場へ。

毎日柔道に励んでいた高校生までと比較すると、当たり前ですが運動量が激減し、会社員になって数年でややふくよかな体型になってしまった摩嶋さん。運動不足も気になっていたのだとか。

「とりあえず痩せたかったので、何か運動を始めようと思ったんです。それで、以前から家のすぐ近くに毛利道場があるのを知っていたので、せっかくなら総合格闘技をしてみようかなと。ですから、総合格闘技を始めたきっかけはダイエット。すごく単純な理由だったんです。」

とはいえ、摩嶋さんは柔道の経験者で、優秀な成績を残してきた人物。柔道を再開するという選択はなかったのでしょうか。思わず浮かんだ疑問に、摩嶋さんは笑いながら答えてくれました。

「柔道は…、正直やり尽くしたので、もうやらなくていいかなって思いました(笑)。柔道も魅力的な競技ですが、総合格闘技は柔道よりずっと技の数が多いので面白そうだなと思ったんです。いつかやってみたいなという気持ちも実はずっとありました。」

毛利道場に通い始めた当初、摩嶋さんはまさか自分がプロになるとは思っておらず、プロを目指す気持ちも一切なかったと言います。そのため、「自分の好きな寝技のクラスだけ参加しよう」というように、あくまでダイエットの一環、趣味の一つとして、ごくごく軽い気持ちで足を運んでいたのだとか。

しかし、摩嶋さんのポテンシャルを見抜いた周囲が、単なる趣味では終わらせてくれなかったのです。

いつの間にか歩んでいたプロへの道。

「4月に毛利道場に入って、その年の12月に初めて試合に出場しました。出たいとは思っていなかったですが、出ろと言われたのでとりあえず出たんです。でもそれを皮切りに、次の試合、その次の試合、さらにその次の試合…と、なんとなく出続けていきました。」

試合に対して積極的ではなかったと言う摩嶋さんですが、着実に実力をつけていき、いつしか注目の選手へと成長。2013年にはついにプロデビューを果たし、2015年には修斗ライト級新人王を、2018年にはRebel FC第3代フェザー級王座に輝きます。

「プロになろうと思ったことは一度もなくて、続けてきたらプロになっていた、ただそれだけ。勝つたびにステージが上がっていって、気がついたら今の僕になっていました。」

今では「最も寝技の強い日本人は誰か?」と問われれば、間違いなく名前が上がるようになった摩嶋さん。デビュー以来、23戦17勝中14勝が一本勝ちという見事な戦績を誇ります。

格闘家の一番の喜びは大舞台で勝つこと。

2020年に摩嶋さんはRIZINと契約を結び、8月に初出場。その後も現在に至るまでRIZINを舞台に戦い続けています。

「これまで多くの試合をしてきましたが、一番印象に残っているのは昨年の『超(スーパー)RIZIN.3』。さいたまスーパーアリーナで来場者約4万8千人という大きな舞台に立て、しかも勝つことができました。この試合をきっかけに、僕の名前が一気に知れ渡った感覚もあります。格闘家にとって喜びは、やっぱり大きな舞台で勝つこと。それを噛み締めた試合でした。」

「人が多くてあまりよく見えなかった」と対戦当日のことを話してくれた摩嶋さん。摩嶋さんの場合、対戦相手や会場によって気合や緊張の度合いが変わったりすることはほとんどなく、目の前の試合にただ挑むといったスタンスなのだそう。「超RIZIN.3」という大舞台であってもいつも通り試合をしただけと話す摩嶋さんのその精神力に驚かされます。

「僕は戦いたい相手も特にいなくて、誰とでも対戦したい。ただ格闘技がしたいだけなんです。だから、その時の対戦相手と純粋に戦うだけ。すごい成績を残しているとか、地元が同じとかに気持ちが動くことはありません。単に格闘技が好きで、楽しいから続けているという感じです。」

とはいえ、格闘技も楽しいばかりではないはず。辛いことや苦労することはないのでしょうか。

「格闘技は基本的に殴り合いなので、痛いですし、ケガもしますから、もちろん辛いですよ。でも痛みやケガより減量の方がもっと辛い。減量そのものというより、失敗したときに周りの人に迷惑をかけるのが、僕にとっては一番辛いこと。減量の知識が足りなかった頃に何度か失敗したことがあり、いろんな人に迷惑をかけて本当に心苦しかったんです。今はもう絶対に失敗しないよう徹底しています。」

対戦に向けて毎回10kg以上体重を落とすという摩嶋さん。減量期間は大体2カ月で、その間食べられるのは鶏肉、ブロッコリー、玄米に。そんな過酷な減量の最中でも周りの人を一番に考えられる摩嶋さんだからこそ、多くの人たちに応援され、愛されるのかもしれません。

頑張れるのはたくさんの人の応援があるから。

最近では街中で「摩嶋さんですか?」と声をかけられることも増え、応援の言葉もいただけるそう。

「みなさんの応援はすごく励みになっています。どんなに疲れていても、また練習頑張ろうって思えるんです。だから、僕がここまで来れたのは、応援してくれるみなさんのおかげでもあるんです。」

家族も全力で応援してくれているそうですが、現在、6歳と4歳のお子さんには、まだ戦う姿を見てもらったことはないのだとか。

「さすがに衝撃的かなと思って、今はまだ会場には招かず、留守番をしてもらっています。でも、子どもがもっと成長して、僕がRIZINでベルトを獲ったら、その時にはリングに上げたいです。勝者だけが見渡せるリングからの景色を子どもに見せたいと思っています。」

最近では東京をはじめとする関東での試合が多い摩嶋さん。周南市のみなさんに戦う姿を披露する機会がないのを残念と言います。

「周南市から東京まで足を運んで応援してくださる方もいて、本当に感謝しかありません。近場で試合ができたらいいのにといつも思っています。いつか周南市でも対戦できる日が来たら嬉しいです。」

若い世代の希望になれるよう、まだまだRIZINに出続けたい。

総合格闘技を始めて早十数年、摩嶋さんの活躍はまだまだ期待されています。

「憧れている選手は、一度対戦したことがある金原選手。この7月に引退されましたが、40歳を超えてもずっと現役で戦ってこられた選手です。僕も金原さんのように、体力がある限り総合格闘技を続け、RIZINで勝利を収め続け、年齢が上がっても頑張れるんだ、勝てるんだと、若い選手はもちろん、若い世代のいろんな人たちにとっての希望になりたいと思っています。」

最後に摩嶋さんは、夢を追いかける上で一番大切なのは、「諦めないこと」と教えてくれました。

「僕はこれまでどんなに辛くても、総合格闘技を辞めようと思ったことは一度もないんです総合。格闘技が好き、総合格闘技がやりたいという気持ちだけで、そんなに上手じゃない時からずっと10年以上、毎日努力してきました。こうやって続けていくことが一番大事で、続けてきたからこそ大舞台に立てています。ですから、何か夢や目標がある人は、まずは続けてみてほしい。続けることでしか、その夢や目標には近づけませんから。」

摩嶋さんが目指すのは若い格闘家や若い世代にとっての星であり続けること。そのために次なる対戦に備えてひたすら練習に打ち込みます。目指すはRIZINフェザー級の王座。そのベルトを手にする日まで、摩嶋さんの挑戦は続きます。

 

 

03.インタビュー

周南市で生まれ育ち、現在も周南市で会社員をしながら総合格闘家として輝く摩嶋さん。生粋の周南っ子である摩嶋さんに、周南市での思い出や周南市の好きなところなどを聞いてみました。

走り回って遊んでいた、とにかく元気な子。

摩嶋さんが生まれ育ったのは周南市の中心部。周南市を代表する都市公園「万葉の森」近くに家があり、よく遊びに行っていたそうです。

「3歳から柔道を始めて、それ以降は本当に練習、練習の日々でした。だからあまり遊んだ記憶はないのですが、その中でも強く印象に残っているのは万葉の森。友だちとエアガンで遊んだり、犬と追いかけっこをしたりと、とにかく元気いっぱいに走り回っている子どもでした。」

中学生になると部活も始まり、摩嶋さんはますます柔道漬けに。高校に入ってからもやはり練習の日々。夏休みは合宿や試合であまり山口県にいなかったのだとか。高校時代の思い出を尋ねると、しばらく悩んで摩嶋さんは答えました。

「高校時代の部活以外の思い出…。奥さんに出会えたことくらいですかね。」

聞けば、奥様との出会いは高校の文化祭だったそうで、その頃からずっと奥様は摩嶋さんのそばにいてくれたのだそう。照れ笑いする摩嶋さんからは、変わらない奥様への愛を感じました。

「高校も柔道ばっかりで本当に休みがなかったです。でも、学校の帰りにジョイフルでちょっと食べたり、ふれあいセンターに寄って話し込んだりすることはありました。すみません、こんな話しかなくて(笑)。」

摩嶋さんの口ぶりから、まさに柔道に捧げた青春だったことを実感します。それでも必死に思い出し、語ってくれたのは、現在は閉店してしまった神代商会のエピソード。周南市の人なら誰もが知る、あの名かき氷店での話です。

「神代商会のかき氷はよく食べていました。かき氷もおいしかったですけど、写真を撮ってもらえるのが嬉しかったですね。自分の昔の写真を探して懐かしい話で盛り上がってと、あの店で過ごす時間自体が好きだったです。あそこがなくなったのはすごく残念。僕と同じ思いの人がきっとたくさんいると思います。」

好きな風景は周南市も誇る幻想的な工場夜景!

思い出の場所について話を伺った後、現在のお気に入りの場所の話に。摩嶋さんはたまに見る工場夜景の美しさに、いつも感動してしまうのだとか。

「僕は日頃、工場の現場監督をしているので、普段は近すぎて工場全体を見ることはありません。でも本当にたまに夜景を見ることがあって、その時に、やっぱり美しさに圧倒されるんですよね。工場夜景は周南市の自慢。僕が働いている工場も無数の光のうちの一つを灯していると思うと、ちょっとだけ誇らしさもあります。」

また、どんどん開発が進む徳山駅周辺からは、ますます活気づく周南市の勢いを感じているそう。

「徳山駅の周りは、すごくオシャレで快適になりました。でも僕は昔の古びた感じも結構好きでしたね。自分にとって落ち着ける場所が変わってしまったのは少し寂しいですが、まちが発展するのはとてもいいこと。これから徐々に馴染んでいって、いずれ今の徳山駅周辺が僕の居心地のいい場所になるんだろうと思っています。」

学校帰りに友だちと駅ビルに行き、ただくだらない話をする。そのひと時は摩嶋さんにとって柔道を離れてリラックスできる大切なひと時だったようです。

周南市は子育てに向いている。連れて行きたい場所がいっぱい!

現在、6歳と4歳のお子さんがいる摩嶋さんは、子どもたちを連れて出かけたい場所が周南市にたくさんあると言います。

「周南市は海も山もあるし、徳山動物園もあるし、子どもを連れて出かけられるところがたくさん。実際、徳山動物園には子どもとしょっちゅう一緒に行っています。田舎もまちなかもあって、いろんなものにふれられる機会が多い周南市は、子どもたちの好奇心をくすぐります。とても子育てに向いているんじゃないでしょうか。」

摩嶋さんは、これまで一度も周南市を離れようと思ったことはなく、これからも周南市を拠点にやっていくつもりなのだそう。

「生まれたまちだから好きというのももちろんありますが、何と言っても暮らしやすいんです。関東に試合に行く時も徳山駅が新幹線の停車駅だからすごく便利で、県外での試合が多い総合格闘技を続ける上でも好立地。居心地がいいからずっと居たい、快適だから離れられないと思っています。」

摩嶋さんは、全く行かなかったお祭りに、大人になってから子どもを連れて行くようになったそう。そこで改めて地元のイベントの素晴らしさも知り、ますます周南市への愛着が深まっているのだとか。

「お祭りって結構楽しいんですね。学生の頃も行けばよかったと思います。いろんな屋台や催しも楽しいですが、周南市のまちも人も生き生きとしているのを体感できるのがすごくいい。僕と一緒に出かけたことが、子どもたちにとっていい思い出になってくれたら嬉しいですね。」

周南市は「帰ってこれる場所」。まち自体が実家のよう。

最後に、「摩嶋さんにとって周南市とは?」という質問を投げかけたところ、摩嶋さんは「帰ってこれる場所」と即答し、周南市への想いを語ってくれました。

「都会に戦いに行って帰ってきた時に、徳山駅に降り立つとやっぱりほっとするんです。肉体的にも精神的にも疲労しているのですが、癒されていくのがわかります。こうやって帰れる場所があるから、思いっきり戦えているんだといつも実感しています。もう周南市自体が実家みたいな感覚で、すごく安心するんです。」

摩嶋さんにとって周南市は育ててくれたまち、ずっと見守り続けてくれるまち。

「周南市に1万人くらい収容できるリング場ができないですかね。そこで試合をすれば、もっとたくさんの周南市の人たちに僕の対戦を見てもらえるのに。僕は自分の戦う姿で、周南市の子どもたちに挑み続けることの大切さ、諦めないことの大切さを伝えていきたい。それが周南市にできる唯一の恩返しだと思っています。」

現在、摩嶋さんは次なる対戦に向けて調整中。近々、RIZINの舞台で戦う摩嶋さんの姿を目にすることができそうです。周南市が生んだサラリーマンファイターは、これからも多くの人たちの希望となるべく、周南市を拠点に挑み続けます。

04.関連リンク
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