インタビュー
周南のヒト
陸上選手|高山豪起さん
3年連続で箱根駅伝に出場! 周南市が誇る長距離ランナー。

2003年、山口県周南市に生まれ、夜市小学校、桜田中学校、山口県防府市の高川学園を経て、東京都の國學院大学へ進学。中学・高校・大学といずれも陸上部に所属し、長距離ランナーとして活躍。毎年1月2日・3日に開催される東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)には大学1年目でデビューを果たし、3年連続で出場。1年目は8区、2年目は10区、3年目は5区を好走し、いずれもチームに貢献。ラストイヤーとなる今年も、4度目となる箱根駅伝の出場を目指す。大学卒業後は中国電力に入社し、陸上競技部に所属予定。趣味は音楽鑑賞(5歳から中学3年生までエレクトーンを習う)。
モノとコト
周南市出身の高山豪起さんは、箱根駅伝の常連校として知られる國學院大学の陸上競技部に在籍。大学1年目から3年連続で箱根駅伝に出場し、多方面から注目されている長距離ランナーです。現在は大学4年生で、最後となる箱根駅伝に向けて日々トレーニングに励む高山さん。陸上を始めたきっかけやこれまでの道のり、夢や目標をお聞きしました。
市民ランナーの父の背中を見て
高山さんが走り始めたのは小学生の頃。市民ランナーだった父親の練習について、いつの間にか走るようになっていたのだとか。
「夏休みの朝は、市民ランナーだった父とラジオ体操の前に1〜2km走るのが習慣になっていました。この父とのランニングが私の陸上人生の原点です。父のマラソンのベストタイムは確か2時間38分。市民ランナーではなかなか出せないタイムです。自分がマラソンを走るようになってからは特に父のすごさを実感しています。」
高山さんは中学校で陸上部に入部。本格的に陸上をやりたいと思ったからではなく、消去法で陸上部に入ったのだとか。
「生徒数が少なかったので運動部は3つだけ。野球を習っていた子は野球部に、身長が高い子はバレー部に。それ以外は、スポーツに興味のある子は陸上部に入り、スポーツに興味がない子は美術部に入るっていうのが通例でした。野球はしていない、身長もそんなに高くない、だけどスポーツには興味があったので陸上部になったというわけです。」
高山さんは「この時は箱根駅伝に出場するほど陸上に情熱を注ぐようになるとは全く思っていなかった」と当時を振り返ります。
中学1年で初めての駅伝 箱根駅伝に憧れるきっかけに
今では長距離を走る高山さんですが、陸上部に入りたての頃は短距離の選手でした。部員数は全学年合わせて30〜40人ほどで、そのほとんどが短距離の選手。高山さんはなぜ長距離に転向したのでしょうか。
「短距離は最初の1〜2ヵ月くらいで、早い段階で長距離に転向しました。転向の理由は、仲のいい先輩が長距離をやっていたから(笑)。父の影響で多少は親近感や興味もあったと思います。」
「単純な理由で転向した」という高山さんですが、走り続けるうちにだんだんと長距離に魅力を感じるようになったのだとか。
「長距離は練習がそのまま結果につながります。努力した分だけ結果がついてくるんです。すごく地道ですが、練習を重ねれば重ねるほど1秒ずつタイムが縮まっていく、そんな感じです。そのことに気がついてからは、長距離がどんどん面白くなっていきました。この面白さこそが、短距離にはない長距離の魅力だと思っています。」
長距離に転向し、中学1年生で高山さんは初めての駅伝を経験しました。

「駅伝は個人のトラックレースとは違ってチームで挑むもの。自分のためだけじゃなく、仲間のためにもベストを尽くします。大会前はみんな自然と士気が高まり、団結力も一層強まります。そして、大会当日は1秒でも早くゴールできるようひたすら懸命にたすきをつなぎます。初めての駅伝の後、こんなに人と人との絆を感じられるスポーツはほかにないと思いました。」
駅伝に魅了された高山さんに拍車をかけたのは、箱根駅伝のテレビ中継でした。ものすごい数の観客の応援を受けながら走り抜けていく選手の姿や感動的なゴールのシーンを見て、「自分も出場したい!」と強く思うようになったといいます。
箱根駅伝を目標に掲げた高山さんは、スポーツの強豪校、防府市の高川学園に進学。中学時代とは異なる環境に身を置き、ますます長距離にのめり込んでいきました。
「想像していた通り、中学とはチームメイトの実力も練習量もレベルが違いました。サッカー部や野球部など、ほかの部活の選手の活躍も私にはいい刺激になっていたと思います。彼らの姿を見ることで、自分ももっとタイムを縮めたい、レースで勝ちたいと、より強く思えていたような気がします。」
高校時代の高山さんは、朝6時半に家を出て授業が始まる前に約8kmをジョギング。そして、授業を終えた後、放課後はトレーニングメニューをこなす日々でした。帰宅時間はまちまちですが、日によっては19時を超えることも。そんなふうに練習を重ね、山口県高校新人陸上競技大会5,000mで2位、山口県高校総体陸上5,000mで1位など、数々の華々しい成績を収めていきました。
そして、高校を卒業後、高山さんは東京の國學院大学に進学。箱根駅伝に挑戦するための大きな決断でした。
「以前から陸上を続けるなら関東の大学に行こうと決めていました。國學院大学を選んだ理由は、高校の部活の顧問が、國學院大学の監督の大学時代の後輩というつながりがあったからです。それに、國學院大学は2011年からほぼ毎年箱根駅伝に出場する常連校なので、夢をかなえる近道と考えました。」
実家を離れ、周南市を離れ、初めての寮生活

箱根駅伝出場の夢を追って國學院大学に進学し、陸上競技部に入った高山さんですが、最初は思うような記録が出せなかったといいます。
「原因は生活環境の変化です。実家を離れて初めての寮暮らし、しかも4年生の先輩と相部屋だったので、やっぱり緊張していたようです。ただ、半年くらい経つとすっかり慣れて、調子も上がっていきました。」
高山さんが暮らす寮に住むのは全員が同じ陸上部の部員。食事の時もお風呂の時も会話のほとんどは陸上の話題なのだそう。今ではそれが当たり前となり、「本当に陸上中心の生活を送っているなと思います」と高山さんは笑います。
授業を受けるキャンパスは渋谷にありますが、陸上部の活動拠点は横浜市のグラウンドです。高山さんは授業が終わると横浜に移動して練習をし、練習後はすぐに寮に戻るのだとか。
「大学の4年間、渋谷で遊んだ記憶はありません。1日の過ごし方は中学・高校の頃とそんなに変わらなくて、とにかく練習が中心の生活です。まさに陸上漬けですね(笑)。」
箱根駅伝の常連校とだけあって、陸上競技部のメンバーは全国から集まった猛者ばかり。大学ではよりハイレベルな指導が受けられ、計算された練習メニューに取り組めるのはもちろん、ほかの選手のいい部分が吸収できたこともプラスになったと高山さんはいいます。
「続けてこられたのは切磋琢磨でき、支え合える仲間がいたから。國學院大学陸上競技部は部員同士の仲がすごく良くて、他大学とは全く違う雰囲気なんです。本当にいい大学を選んだと思っています。」
1年目で念願の箱根駅伝に出場。任されたのは8区
國學院大学陸上競技部の部員数は約60人。そのうち、箱根駅伝のエントリーメンバーに選ばれるのは16人。そして、その中から実際に出場できるのは、往路5区、復路5区をそれぞれ走る計10人です。常連校ならではの狭き門ですが、高山さんは1年目からエントリーメンバー入りを果たします。
「本当に嬉しかったですが、それ以上に驚きました。普段はあまり連絡をしませんが、すぐに両親に報告のメッセージを送ったのを覚えています。『まだ本番で走るかどうかはわからないけれど』と。」
高山さんのメンバー入りを決めたのは、11月に行われた選考レースでの結果でした。
「この時の選考レースは、大学に入って初めて自分の力を出せたと思えたレースでもあります。箱根駅伝への切符がつかめただけでなく、ようやく次のフェーズに行けたという感覚もあった印象深いレースで、一番記憶に残っています。大学生活も半年が過ぎてやっと練習に体が順応し、疲労もうまく対処できるようになっていたことが、いい走りにつながった理由だと思います。」
その後、12月下旬に最終的な区間エントリーが発表され、復路の3番目となる8区にまだ1年生だった高山さんの名前が呼ばれました。まさに大抜擢です。 「同級生はもちろんですが、先輩方も『1年なのにすごい!』と声をかけてくれ、ここでもチームの仲の良さを実感しました。8区は序盤こそ平坦ですが、残り5km手前あたりから上り坂になります。実家の周辺には結構上り坂があって子どもの頃から走り込んできましたので、私は起伏があるコースが結構得意です。チームのために全力を尽くそうと思いました。」
初めての箱根駅伝。区間順位は13位

2023年1月2日、高山さんは初めての箱根駅伝を迎えます。8区を走る高山さんの出番は翌日の3日ですが、会場に足を踏み入れた時、一体どんな気持ちだったのでしょうか。
「初日を迎えた時点では、『本当に走れるのかな』とぼんやり思っていました。あまり現実味がなく、ふわふわした感覚でしたね。けれどもいざ会場に行ってみると、これまでの大会では見たこともないくらい大勢の観客がいて、さすがに圧倒されました。それで、ついに憧れていた箱根駅伝の舞台に立つ時が来たんだ…と、急に実感が湧きました。」
國學院大学は初日の往路を4位でフィニッシュ。翌朝8時に1位でゴールした駒澤大学が復路のスタートを切ると、中央大学、青山学院大学に続いて國學院大学もスタートしました。8区の高山さんは平塚中継所でたすきを受け取り、次の地点となる戸塚中継所を目指しました。
「走っている最中、全く途切れることがなく観客が沿道を埋め尽くしている様子が目に入ってきます。ほかの音が聞こえないほどのものすごい大きな声援で、『ああ、本当に箱根駅伝っていうのはすごい大会なんだな』と思いました。」
7区の選手から3位でたすきを受け、3位を維持したまま9区の選手へとたすきをつないだ高山さんの区間記録は1時間5分32秒、区間順位は13位。國學院大学における8区の区間記録としては歴代3位の成績でした。
「この年は総合4位で、表彰台まであと一歩の結果に。夢だった箱根駅伝への出場がかなった嬉しさと、もっと走れたという悔しさと、いろんな感情を味わったレースでした。」
ラストイヤーこそは悔いのない走りをしたい
高山さんは、第100回大会では10区を、第101回大会では5区をと、3年連続で箱根駅伝に出場。ラストイヤーとなる今年も箱根駅伝への出場を狙います。
「1年目は明らかな経験不足。2年目、3年目は本来の力が発揮できなかった。だからこそ、ラストは手応えのある走りをして終えたい。悔いのない走りをして、みんなで表彰台に上がって、悔し涙ではなく、嬉し涙で箱根駅伝を卒業したいです。」
夢に見ていた箱根駅伝にたどり着いた高山さんですが、その道のりは決して順風満帆だったわけではありません。
「中学3年の時には親を泣かせてしまうほどの不調に陥り、タイムが全く伸びない時期がありました。大学2年の時には選考レースに出た後にケガをし、治りかけのタイミングでインフルエンザに罹り、約2ヵ月間走れなかったことも。でも、どんなに苦しくても、状況が悪くても、一度も陸上をやめようと思ったことはないんです。両親や顧問、メンバーなど周りのサポートもものすごく力になったんですけど、結局、好きなんですよね、走ることが。」
次の舞台はマラソン。世界で戦いたい

高山さんの陸上人生は箱根駅伝で終わりではありません。大学卒業後は実業団陸上競技部への所属し、次はマラソンで世界に挑戦すると決めているのです。
「箱根駅伝が終わったら、2月にはもうマラソンのレースが待っています。今度はマラソンで、世界を舞台に戦うのが目標。これからも体力が続く限り走り続けます。」
「走るのが好き」と語る高山さんの表情は、陸上への愛があふれ、その目は確かに未来を見つめていました。これから高山さんはマラソンでもっと広い世界へと飛び立ちます。平坦な道も上り坂も下り坂もどんな道にも果敢に挑み、夢をつかんでくれるはず。周南市から世界トップのマラソンランナーが誕生する日も、きっと遠くはありません。
インタビュー

周南市の西部、自然豊かな夜市地域で生まれ育った高山さん。憧れの箱根駅伝に挑むため上京しましたが、将来は大好きな周南市に戻ろうと決めていたのだとか。高山さんは周南市でどんな子ども時代を過ごし、周南市にどんな思い出があるのでしょうか? じっくり語っていただきました。
小5まではなぜか授業中に付箋で工作に励む
小学生の頃から父親と一緒にランニングを始めた高山さんですが、インドア派の友だちが多かったため、常に外で遊ぶような子どもではなかったそう。近くの公園で遊ぶこともありましたが、ほとんどは誰かの家に集まってゲームやカードゲームをしていたといいます。
「印象深い外遊びといえば山の探検。親戚が集まった時は、年の近い従兄弟たちと弟2人と一緒によく祖父が持つ山で遊んでいました。すぐ下の弟とは2歳差、その下とは4歳差ですが、結構仲はいい方だと思います。今も兄弟だけのLINEグループがあって、ゲームの話やふざけた話をしています。陸上や試合に関する話はあまりしませんね。」
ちなみに5歳から中学3年までエレクトーンを習っていたのだとか。

「コンクールで金賞を受賞したこともあるくらい本気でやってました。今はもうなまっていて当時のようには弾けませんが、楽譜はまだ読めます。」
音楽をやっていた影響なのか、現在も趣味は音楽鑑賞で、さまざまなジャンルの曲を聴いて楽しんでいるそうです。では、学業はどうだったのでしょうか?
「小5までは授業中に付箋で何かを作ったりと、いつもなんだか変なことをしていました。小6からは真面目になって、中学校の3年間はしっかり頑張ったので、勉強と部活の両立はできていたんじゃないかなと思います。」
付箋を使って一体何を作っていたのか気になるところですが、熱中できる心や集中力はそこで養われたのかもしれません。
永源山公園に西徳山総合グラウンドに… 思い出の場所は全て陸上絡み
中学の思い出を尋ねると、しばらく考え込んだのち、「陸上…」との回答が。中学時代から箱根駅伝を目指していたため、練習に試合にと、すでに陸上一色の学生生活を送っていた高山さんならではの回答です。そんな中でもどうにか記憶を呼び起こし、思い出の場所を教えてくれました。

「永源山公園は思い出もあるし、周南市の中で好きな場所でもあります。小学の頃は親に連れて行ってもらって遊んだり、友だちともプールに行ったりしていました。中学時代は練習に使っていましたね。中学の近くにあった西徳山総合グラウンドっていう小さなグラウンドも思い出深いです。夏休みは主にそこで練習していました。緑地公園のトラックも練習に使っていましたね。西徳山総合グラウンドは今も帰省した時に軽く走ったりしています。

ちなみに帰省した際に走るお決まりのコースは、父親から受け継いだコースなのだとか。
「父親が走っていた17kmくらいのコースです。高校の頃は結構長いなと思っていましたが、大学になってからはちょうどいいと感じるようになりました。父ももう50ですから、今は一緒に走ることはありません。また一緒に走りたいと思うこともありますが、今の父の体型だとちょっと難しいかもしれません(笑)」
父親と走っていた頃を思い出し、懐かしそうに笑う高山さん。続いて中学の顧問の先生との思い出話も話してくれました。
「唯一部活を休んだのは修学旅行と文化祭週間。生徒会に入っていたので、文化祭週間の朝と放課後は文化祭の仕事をしなきゃいけなかったんです。ただ、顧問の先生が熱血だったので、文化祭の仕事が終わった後に『さあ、走ろうか!』とやってくるんです。それでよく一緒に走っていました。その先生は一時期全く走れなくなった私を支えてくれた恩師でもあり、今も交流があります。先日の出雲駅伝にも応援に来てくださいました。今は中学の頃には見たことがない笑顔で話してくれますよ(笑)。」
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何よりの魅力は「ひとの温かさ」
「いつかまた周南市に戻りたい」、そう思いながら上京した高山さん。4年経った今でもその気持ちは全く変わっていないそうです。高山さんは周南市のどんなところに魅力を感じているのでしょうか。
「周南市の魅力はたくさんあります。例えば、自然と工業が共存しているところ、まちなかも田舎も両方あるところ、スポーツ環境が充実しているところなど。最近は徳山駅を中心にどんどん賑やかになっていますから、これからもっと魅力的に、もっと愛されるまちになると思います。でも私が考える周南市の一番の魅力は、やっぱり『ひとの温かさ』。東京でスーパーやコンビニに行った時や、駅で誰かとすれ違った時など、いろんなシーンで周南市の人の温かさを思い出します。うまく表現できませんが、根本的に人と人との距離感が違うのかなって思います。」
箱根駅伝に出場するようになってから、まちなかで声をかけられることも多くなったという高山さん。地域全体が応援してくれているのを実感しているそうです。
「1年目の箱根駅伝後の帰省時にコロナワクチンを打ちに病院に行ったら、至るところで声をかけられました。みなさん、本当に箱根駅伝を見てくださってるんだなという驚きと、こんなにもたくさんの方に応援してもらえるなんて…という感謝の気持ちでいっぱいになりました。」
大学に入ってから高山さんが周南市に帰れたのは年に2回ほど。お盆に5泊6日と、箱根駅伝が終わったタイミングの4泊5日だけだったそうです。しかし、大学を卒業したらその頻度にも変化が訪れそうです。
「中国電力への就職が決まっているので、広島県に住む予定です。だから、今よりもっと帰れるようになります。徳山駅は新幹線の停車駅ですから、20分くらいで行き来できるのはすごくありがたいですね。毎週は無理ですが、月に2回くらいは帰りたいなと思っています。」 「友だちからも早く帰っておいでといわれています」とにこやかに話す高山さん。周南市には待ってくれているひとがたくさんいるのだとか。
育ててくれた地元に恩返しを! 将来は周南市で陸上教室を開きたい
高山さんは地元への恩返しの意味も込め、将来的には周南市で陸上教室を開きたいのだとか。
「周南市の子どもたちに長距離の魅力を伝えたいです。そして、努力は裏切らないことを知ってもらいたい。それと、長く競技を続けるためには、練習をやり過ぎないことも大切と教えたいです。自分に合った練習、自分のキャパを考慮した練習を『続けること』が何より重要。故障やメンタル面で将来を潰さないよう、しっかりコントロールできる力も身につける必要がありますから。」
周南市と陸上への思いを熱く語ってくれた高山さんは、もうじき最後の箱根駅伝を終え、本格的にマラソンの世界に進出します。
「目標の選手は特にいませんが、まずは同じ周南市出身のランナー・藤本拓さんのベスト記録を超えたいです。」
最後は、周南市が好きだからこそ、周南市にこだわる高山さんらしい宣言をいただいてインタビューは終了に。高山さんの知られざる素顔が垣間見られる楽しいひと時となりました。
執筆時期:2025年10月
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