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ほっこりCAFE|平井 一也さん

人と人、人と地域、地域と地域を「つなぐ」まちづくりのプレイヤー

01.ヒト

1979(昭和54)年生まれ、滋賀県出身。近畿大学入学と同時に少人数制の人材育成専門学校に入り、多くの起業家から学ぶ。卒業後、28歳まで母校の講師、飲食店の経営サポートをし、その後、独立を踏まえ経営を学ぶために上京。上京後、フランチャイズの開発会社、企業再生会社、アントニオ猪木氏の事務所の3つを掛け持つ忙しい日々を過ごした後、31歳で念願の独立を果たし、介護事業をスタート。縁あって山口県周南市の病院施設に招かれ、34歳で周南市に移住。2年間、理事として病院経営に携わった後、2016(平成28)年に周南市みなみ銀座商店街に「ほっこりcafe&ストレッチ」をオープン。2020(令和2)年11月に現在の周南市有楽町に移転し、「ほっこりCAFE」としてカフェ事業、テイクアウト事業、ストレッチ事業、地域活動を展開中。

02.モノとコト

地域のほっとする居場所として「ほっこりCAFE」を開設。

JR徳山駅から徒歩2分、有楽町楽器ビル1階にある「ほっこりCAFE」が現在の地にオープンしたのは2020(令和2)年11月のこと。「地域のほっとする居場所」をコンセプトに、カフェ事業、テイクアウト事業、ストレッチ事業、地域活動の4つを軸とし、周南市が元気でいられるためのさまざまな活動に取り組んでいます。

ちなみに、以前はみなみ銀座商店街にて「ほっこりcafe&ストレッチ」という名前で営業しており、誰でも参加できるストレッチ教室も毎日開催していました。現在は、生きていく上で絶対に欠かせない「食」に重きを置き毎日通ってもらえる場所にしたいと考え、カフェが主体の営業スタイルに変更しています。

 

地元食材を使った手作り料理が魅力。名物は和風ちゃんぽん。

「ほっこりCAFE」で提供されるのは、可能な限り地元の食材を使った手作りの家庭料理。日替わり定食もテイクアウト弁当も大人気ですが、今一番注目されているのはオーナーの地元・滋賀県のソウルフード「ちゃんぽん」を再現した「和風ちゃんぽん」です。実はこの和風ちゃんぽん、市内のラーメン屋さんからたまたま麺を分けてもらったことでレギュラー入りを果たしたメニュー。「いい機会だからと前々からやりたかったちゃんぽんを作ってみたら、麺とスープの相性が抜群だったんです」とオーナーの平井一也さん。今ではカフェの名物となり、県内だけではなく、広島県や福岡県在住の滋賀県出身者が懐かしい味を求めてわざわざ食べに来るのだとか。

ちなみに、和風ちゃんぽんの味の決め手となる出汁は、オーナーが愛してやまない吉田屋醤油有限会社(周南市)のアサヒワシ醤油の白出汁。カツオの旨みと香りが効き、美しく透き通ったこの白出汁は滋賀県のちゃんぽんを再現するのに最適なんだそう。さらに、和風ちゃんぽんの味変を楽しむための出汁酢を吉田屋醤油と共同で開発。この出汁酢は「やみつき万能だし酢」と命名され、「ほっこりCAFE」の地域連携活動の第1弾として話題になりました。やみつき万能だし酢は、「ほっこりCAFE」の店頭や市内のスーパーマーケットのフジ新南陽、フジ桜馬場店で購入できるので、気になる方はぜひチェックしてください。

 

▼「ほっこりCAFÉ」オンラインショップでも販売しております

https://hoyamithuki.thebase.in/items/37323149

 

地域の人々の健康寿命を延ばすためストレッチも継続。

移転とともに「ほっこりcafe&ストレッチ」から「ほっこりCAFE」と改名しましたが、毎日開催していたストレッチ教室を完全に無くしてしまったわけではありません。現在も60歳以上の方を対象に、毎週火〜木曜の1時間ごと、最大5名までを受け付けて継続しています(会員制・月1500円)。「周南市が実施する『いきいき百歳体操』に参加したり、スポーツジムに通われている方もたくさんいらっしゃいますが、「ほっこりCAFE」でしているのは、どちらかというと運動前やスムーズに動くための準備段階。ちゃんと筋肉をやわらかくしてから動こう、血流を良くしてから動こうというものなので、血流改善を目的とした座りながらのストレッチが基本です。地元の70代の方が多く通われていますよ」と平井さん。ただのカフェではなく、地域の人々の健康寿命を延ばすための場、さらにご年配の方々の交流の場としても「ほっこりCAFE」は愛されています。

「病院や介護施設は何か理由がないと行くことはない特別な場所。そうではなくて、もっと身近で、気軽に集える場所が地域には必要と思い、「ほっこりCAFE」をつくったんです。こうして食やストレッチを通じて日頃から関わっておけば、些細な変化を感じ取れますし、相談に乗ってあげることもできますから。ご高齢の皆さんやそのご家族が安心して暮らせるまちにしたいですね。」

 

地域に拠点をつくる。地域をつなげる。プレイヤーの底上げをする。

「ほっこりCAFE」で展開している地域活動は3つの目標を掲げています。それは、「地域に拠点をつくること」、「地域と人、地域と地域をつなげること」、そして、「地域で活動しているプレイヤーの底上げをすること」です。そして今、「ほっこりCAFE」がある有楽町では、有楽町地域ラボまちづくり協議会を立ち上げ、平井さんを中心に商店主や住民が団結し、地域を盛り上げるために精力的に動いています。

例えばその一つが、「ほっこりCAFE」と隣接する駐車場で毎月第2日曜日に開催される「有楽マーケット」です。有楽マーケットは、『地域交流拠点づくり』として地域の課題を身近に感じること、さらに地域の方々と共に連携することのできる地域拠点の開設や、このプロジェクトが持続可能な仕組みとなるよう様々な事業に取組んでいくことを目指してスタートしたもので、有楽町に並ぶ商店の弁当やスイーツ、ドリンクなどの販売のほか、キッチンカーを招いたりと、今や地域の人気イベントとなっています。

また、2021(令和3年)11月に限定販売した「有楽町で逢いましょう弁当」も話題に。周南市シティプロモーション課主催の「第1回周南市高校生写真大会」に合わせて開発した6つに仕切られた弁当で、有楽町にある6店舗が1品ずつ料理を担当し、一つの弁当を完成させたものです。

「こういった活動を展開することで、有楽町の人たちと外部の若者との交流が盛んになりました。『何かしたいけど、どうやって始めたらいいかわからない』というプレイヤーにとってもいいきっかけになっているのではと感じています。また、有楽町内の風向きも変わり、ほっこりCAFE以外にも年配の方々が集まる場所もできました。私とその年配の方々がほっこりCAFEを通じて連携しているので、自治会が一つにまとまりつつあります。高齢化や人口減少により消滅する自治会もある中、有楽町はどんどん元気になっているんですから、とても喜ばしいことです。」と平井さん。

しかし、「ほっこりCAFE」の地域活動は有楽町にとどまりません。2022年7月には、有楽町を飛び出し、フジ桜馬場店にて「HITO to HITO MARCHE in フジ桜馬場店」を開催。愛媛・瀬戸内海物産展をメインに、地元団体やキッチンカーが出店する地域を超えた賑やかなイベントです。

▼「「HITO to HITO MARCHE」公式ホームページ

http://hitotohito.jp/

 

「駅前図書館や地域のスーパー、ほかの地域や団体を巻き込んで、もっともっといろんな人や地域をつなげていきますよ。」

平井さんの次の目標は、ネットとリアルを絡ませた地域活動だそうです。ほっこりCAFEを中心に、有楽町、そして周南市はどんな変化を遂げるのでしょうか。今後の活動からも目が離せそうにありません。

03.インタビュー

周南市有楽町で「ほっこりCAFE」を営む平井一也さんは、山口県からほど遠い滋賀県彦根市の出身。仕事の縁で周南市にやってきたそうですが、いつしか地域活性化やまちづくりに情熱を注ぐように。そんな平井さんの目に周南市はどのように映っているのでしょうか。そして、平井さんは周南市の未来をどのように描いているのでしょうか。「ほっこりCAFE」をお訪ねし、インタビューしてみました。

 

大学と人材育成専門学校のダブルスクールで世の中を知る。

「滋賀県出身なのに、なぜ周南市でまちづくりを?」

インタビューの冒頭にきっと誰もが不思議がっているであろう「平井さんが周南市に来た理由」を尋ねてみました。すると平井さんは、前置きとしてこれまで歩んできた「なかなか濃い人生」について話してくれました。

「近畿大学入学と同時に、近畿大学と大阪商工会議所が共同でつくった人材育成の専門学校に入学しました。大学の4年間は、いわゆるダブルスクールだったんです。その専門学校は昔でいう松下政経塾(パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助が設立した公益財団法人)みたいな学校で、コニカミノルタ株式会社の専務や株式会社モンベルの社長、パトカーのランプをつくっている株式会社パトライトの社長とか、いろんな企業の社長が週に1回話をしにきてくださいました。この時に学んだことが、私の今の状況にかなり大きな影響を与えていると思います。」

多くの起業家との出会いの中でたくさんの言葉に触れ、平井さんはいろいろな考え方や、物事のいろんなを知り、どんどん吸収していきました。中でも、今のまちづくりの原点と言えるくらい平井さんに大きな影響をもたらしたのは、シャープ株式会社の元副社長・佐々木正氏の言葉だとか。

「『昔の人の考えも素晴らしい。今の人の考えも素晴らしい。ただ、昔と今をつなげる人がいないので、ぜひそこをつなげられるような人間になってほしい』とおっしゃったんです。佐々木先生の双方を理解しようとし、受け入れようとする柔軟さに感動しましたし、『つなぐ』ことの大切さを妙に納得しました。そして、自分は絶対にそのつなぐ人になろうと思ったんです。ちなみに、佐々木先生は同じ言葉をソフトバンクグループ株式会社の孫正義社長にもよくおっしゃっていたそうです。」

平井さんが展開する地域活動の根底にあるものは「つなぐ」こと。それは、人と人であったり、人と地域であったり、地域と地域であったりとさまざまですが、平井さんの揺らぐことのない信念は、20代の頃に受けたこの教育が土台となっているのは間違いないようです。

 

独立を決意し、目標達成のために100人の経営者と会ってみた。

大学、専門学校での学びを終え、しばらくは講師業と飲食店の経営サポートをしていた平井さんですが、次のステップとして31歳で独立することを決めました。

「独立を決めた理由は、たくさんの人に会い、いろんな考え方を学んできた中で、『こういう人になりたい』『こういう世の中にしたい』という目標が明確になったからです。起業家になりたいとか、社長になりたいというわけではなく、目標を達成するための一つの選択肢として独立を選びました。」

まずは独立に向けて学ぼうと、一旦企業に就職することを決めた平井さん。しかし、大阪にするか、東京にするか決められずにいたそうです。そこで、大阪で一番の保険代理店をやっている友人の父親に頼み込み、100人の社長を紹介してもらったというのです。

「100人の社長と話したことで、大阪と東京の社長の考え方の違いを知ることができました。それで、より厳しい環境で学ぶにはやはり東京だと。それから二週間という期限を自分で決めて、東京で就職活動をしました。」

平井さんは、誰とどんな会社で働くべきかを判断するために面接を受けて歩いたそうです。その結果、3つの名刺を持って走り回ることに。

「この人の元で働こうと思った社長が、たまたま3つの会社をやっていたんです。1つ目はいろんなフランチャイズ業態の開発会社、2つ目は倒産した会社を買収して再生する会社。その時に再生した会社の一つに英会話の株式会社NOVAがあります。3つ目はアントニオ猪木さんの事務所であるコーラルゼット株式会社で興行のスポンサー集めです。この3つの仕事を掛け持ち、3年間走り続けました。」

ダブルスクールで起業家から学び、100人の社長に会い、3つの名刺で走り回る…。ここまで聞いただけでも、確かに「濃い人生」と納得します。しかも、18〜28歳の間、土日と夏季・冬季休暇は、母校である近江高校の野球部のコーチをしていたとか。恐るべき行動力です。

31歳で独立し、介護事業から自治体を巻き込むプロジェクトに発展。

上京して3年後、平井さんは計画通り31歳で独立を果たします。

「最初の事業は介護の分野。東京と大阪の3店舗でデイサービスを始めました。介護事業をやりたいという会社から、自分たちではできないから任せたいと頼まれたのがきっかけです。」

その後、平井さんはプロ野球の選手が通うマッサージ店もスタート。さらには選手のオフシーズンのマネジメントも請け負うように。

「野球でつながっていた同級生が、たまたま高いマッサージ技術を持っていたんです。巨人やヤクルトの選手がよく利用してくれて、オフシーズンに野球教室やトークショーもするようになりました。自治体と連携を図って売上の一部を車椅子に変えて地域の福祉施設に配ったり、子どもたちの育成のために教育委員会に寄付したりしましたね。ただのトークショーにしなかったのは、日本もアメリカのように寄付やボランティアがお金持ちのステータスになったらいいなと思ったからです。」

平井さんの呼びかけによってつながった、野球選手と自治体、福祉施設。このように徐々に人と人、人と地域を「つなぐ」ようになり、自分の理想とする文化を根付かせるための活動にも力を注ぐようになった平井さん。うまく回るようになった事業は手放して次の人にバトンタッチ。そして、自分はまた新しいことに挑戦する…、そんなサイクルが確立されてきたとき、ついに平井さんと周南市はつながりました。

 

 

周南市の医療施設から舞い込んだ事業立て直しのオファー。

「周南市の病院から大阪に拠点をつくりたいと相談を受けたことが始まりでした。確か、私が34歳くらいの頃だったと記憶しています」と、周南市との出会いを話してくれた平井さん。ちょうど平井さんが運営していた介護事業でも、今後の展開を考えて、病院や医療と連携したいと考えていたタイミングだったと続けます。

「思い切って会社を吸収してもらい、私は事業の責任者として引き続き大阪で運営に携わることに。それから2年くらい経った頃でしょうか。今度はその病院が運営する周南市の介護事業を立て直して欲しいと頼まれたんです。」

オファーを引き受けることにした平井さんは、視察のために早速周南市を訪れたそうです。しかし、そこで感じたのは不安だけだったといいます。

「JR徳山駅を降りた瞬間、『うわ、このまちの気はなんだろう…』と思いました(笑)。3日間の予定で来ましたが、2日目には熱が出て、自分でもびっくりです。私は47都道府県全てに行ったことがあるのですが、こんなことは初めての経験でした。」

けれども、この3日間の視察でいい出会いもあったそうです。それは、現在、「ほっこりCAFE」でともに働くスタッフとの出会いでした。

「精神的に参っていた私の前に現れたのが、今も一緒に働いているスタッフです。彼女は事務職で、書類の受け渡しを担当しており、病院の関連施設全てを回る人でした。どの施設でも変わらない笑顔で接している彼女を見たとき、病院を変えるにはこの人が必要だとピンと来ました。そして、事務長と私の直属の部下になってもらい、サポートしてもらうことにしたんです。」

「彼女がいなかったら大阪に帰っていたかも。私にとって唯一の光でしたよ。」と笑いながら話す平井さん。「つなぐ」ことを大切にしている平井さんにとって、関連施設を行き来するスタッフはまさにつなぐ存在。そこからは二人三脚で介護事業の立て直しに取り組みました。

「所詮他所から来た者ですから、理不尽なことも言われました。新しいシステムの導入を医師会に呼びかけましたが、途中で頓挫したり…。それでもわかったことは、何もできていないまち、何もないまちの方がまちづくりはしやすいということ。大阪でも介護事業をしていましたが、やっぱりそれなりに整っていて、みんな困っていないんですよね。困っていないから、改善も変化も求めていない。その点、周南市だったら私がやってみたいまちづくりができそうだと思うようになりました。」

少しずつ介護施設の立て直しから、周南市のまちづくりに気持ちが傾いていた平井さんですが、予定されていた2年間という立て直し期間はあっという間に終わり、大阪に帰る日を迎えました。

「正直、もう戻ってくることはないだろうなと思いながら大阪に帰りました。でも、介護施設に通ってくださっていたおじいちゃん、おばあちゃんが私を呼び戻したんです。」

 

考えを押し付けることなく、応援してくれる年配の方々に背中を押され。

一度は大阪に帰った平井さんですが、2016年、株式会社Plumeを創業し、周南市に戻って新たな事業をスタート。その時に誕生したのが「ほっこりCAFE」の前身、「ほっこりcafe&ストレッチ」です。

「介護施設でストレッチを実施していたのですが、通ってくれていた年配の方々がとても残念がってくれたんです。しかも、みなさん昔の考え当てはめようとすることなく、むしろ応援してくださるんです。その時、『ああ、この人たちは佐々木先生と同じだ』って思いましたね。周南市には新しい取り組みを応援してくれるすごい人たちもたくさんいるのだと気付かされました。しかも、年配の方々です。だから、これまでの足枷を全て取り払い、改めて周南市でまちづくりにチャレンジすることにしたんです。」

JR徳山駅前のみなみ銀座商店街にカフェを開き、デイサービスもスタートした平井さんは、これをきっかけに周南市のまちづくりに大きく舵を切ります。

「もちろん、私のやりたいことがわかってもらえないこともありますし、自分の枠にはめようとする人たちもたくさんいます。けれど、私は『昔の考えもいい、今の考えもいい』という考えでずっと生きてきましたから、今の考えに否定的な枠にはまることはありません。はまらないから叩かれるし、言い合いになるときもある。でも、これはまちの発展のために必要なことだと思っています。周南市を良くしたいと思っているからこそ、ぶつかるのですから。まあ、悔しい場面はいっぱいありますけどね(笑)。」

 

周南市は夢中にさせるまち。成し遂げたいことはたくさん!

駅前の再開発に伴い、「ほっこりcafe&ストレッチ」は有楽町に移転し、「ほっこりCAFE」としてオープン。現在、平井さんは、カフェ事業、テイクアウト事業、ストレッチ事業、地域活動の4つを柱に日々忙しく走り回っています。

「以前は、1ヶ月のうち3分の1が東京、3分の1が大阪、3分の1が周南という暮らしをしていましたが、今はコロナ禍の影響もあってほとんどを周南市で過ごしています。私は事業を3〜4年サイクルで考えていて、本来ならもうすでに周南市でやりたいことは成し遂げている頃なのですが、これもまたコロナ禍の影響で思ったより時間がかかっています。」

周南市で平井さんが成し遂げたいことは、地域に拠点をつくること、地域と人、地域と地域をつなげること、地域で活動しているプレイヤーの底上げををすること、この3つだそうです。

「今、有楽マーケットを中心に有楽町という拠点がやっとできあがったところ。次のステップは、図書館や市内のスーパーと連携して、拠点をつなぐことです。そこから先はネットとリアルを連携させるなどして広報の仕組みを確立させ、さまざまな情報を発信して、人と人、人と地域、地域と地域をつなぎ、周南市を盛り上げたいと考えています。」

「当たり前のことですけれど、いろんな人がいますから、なかなか前に進めないのも現実です」とポツリとこぼす平井さん。困難も多い中、それでも周南市から撤退しないのは、周南市が好きだからなのでしょうか。

「好きとか、嫌いではないような…。周南市に夢中になっている、というのが正しい表現かもしれません。」

実は平井さん、人生設計では48歳でハワイに移住しているそうです。その前に、沖縄県の離島から介護事業の立て直しも頼まれているとのことで、周南市での活動のタイムリミットは刻々と迫っているそうです。

「できれば周南市でまちづくりをパッケージ化し、ほかの頑張っている自治体に持っていきたいと思っています。最終的には周南市に地域通貨をやってほしいですね。全国各地で人口減少と高齢化が進んでいますから、周南市でも10年後にはきっと必要になると思うので、今から声を上げていきたいです。」

次から次へとやりたいことが増えていく平井さんのバイタリティーには圧倒されるばかり。有楽マーケット、「有楽町で逢いましょう弁当」、「HITO to HITO MARCHE in フジ桜馬場店」など実績も着実に残し、今や周南市を代表するプレイヤーの一人といえる存在に。

「周南市を去るタイミングは、ある程度のところまで軌道に乗せ、誰かに事業を譲るとき。でも、もしかしたらこのまま周南市に拠点を置いて、全国を動く可能性も十分にあります。これから先のことは、まだ未定ですね。」

 

周南市の好きな景色は「中須の棚田」。田植え体験の思い出も。

最後に「周南市に夢中になっている」平井さんに周南市の好きな景色を聞きました。

「いろいろありますが、やっぱり一番は中須の棚田です。すごく美しくて、農林水産省が選定する「つなぐ棚田遺産」に認定されるていますよね。 一昨年に田植え体験に参加したのですが、その時の光景が今も忘れられません。」

  • 周南市内にある中洲の棚田の情報はこちらからご覧になれます

https://www.city.shunan.lg.jp/site/kanko/76130.html

工場夜景、JR徳山駅周辺のライトアップ、有楽町、商店街、海、山…と、平井さんは周南市のいろんな景色を愛しているそうです。その景色たちを眺める時間が、平井さんの「濃い人生」において、ほんのひと時でもいいので癒しになっていることを願わずにはいられません。

 

04.関連リンク

記事:藤井 香織 / 写真:川上 優
執筆時期:2022年11月
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