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ハンドボール選手(北國銀行ハンドボール部 Honey Bee所属)|松本ひかるさん

2021年の世界選手権で日本代表に選出! パリ五輪を目指すハンドボール選手。

ハンドボール選手(北國銀行ハンドボール部 Honey Bee所属)|松本ひかるさん
01.ヒト

1995年、周南市生まれ。小学6年の秋から小学生ハンドボールチーム「LITTLE GUTS」でハンドボールを始め、岐陽中学校、下松市の華陵高等学校ではハンドボール部に入部。高校卒業後、ハンドボールの強豪・大阪体育大学に進学し、2013年に第12回女子ジュニアアジア選手権の日本代表U-20に選出されるなど華々しく活躍。大学を卒業後は、石川県金沢市の社会人女子ハンドボールチーム「北國銀行 Honey Bee」に所属。2021年11月、初の日本代表入りを果たし、「おりひめJAPAN」の一員としてスペインで開催された第25回女子世界選手権に出場。現在は、2024年開催のパリオリンピックを目指して日々練習に励む。

02.モノとコト

今回ご紹介するのは、日本ハンドボールリーグ(女子)で2022年3月に8年連続9回目の優勝を果たした強豪チーム「北國銀行 Honey Bee」に所属する松本ひかるさんです。小学6年生からハンドボールを始めて現在まで、数々の華々しい成績を残してきた松本さんの目標は、2024年開催のパリオリンピック出場です!

ハンドボールを始めたきっかけは家族の影響

現在は女子ハンドボールの日本代表として活躍する松本さんですが、実は、小学3年生から6年生の秋まではソフトテニスに打ち込んでいました。転向のきっかけは、家族の影響。両親は、ハンドボール経験者で、弟は小学生ハンドボールチーム「LITTLE GUTS」に所属。一家のうち松本さん以外はみんなハンドボールに携わっていたのです。「今思えば、家族の中で一人だけ話が合わず、寂しかったのかも」と松本さんは笑います。

ソフトテニスをしていた松本さんはテニスコート(周南市庭球場)での練習を終えると、テニスコートに隣接するキリンビバレッジ周南総合スポーツセンターの体育館で、弟さんのハンドボールの練習が終わるのを待っていたそうです。その時いつも「LITTLE GUTS」に所属する同級生たちから「いつ入るの?」と声をかけられていたのだといいます。

同級生からの声かけもあり、どんどん気持ちがハンドボールに傾いていった松本さんは、小学校の高学年になり、ついに両親にハンドボール「も」やりたいと伝えました。すると、両親からは「6年生の最後の試合までソフトテニスをやり切りなさい。そうしたら、ハンドボールを始めてもいいよ」と返事をもらいました。

約束通り、ソフトテニスを小学生最後の試合までやり抜き、その秋からハンドボールも始めた松本さんは、念願だった二足のわらじを履くことに。けれども、だんだんとハンドボールの方へ気持ちは傾いていったのでした。

「ソフトテニスと練習がかぶる日もありましたが、徐々にハンドボールを優先するようになりました。その頃は、とにかくハンドボールが楽しかったんですよね。」

迷いに迷った結果、中学からはハンドボールに専念

小学校を卒業して、市内の岐陽中学校に入学した松本さんはハンドボール部に入ります。この選択が松本さんにとって「人生の大きなターニングポイント」になりました。

松本さんが中学に上がる前、岐陽中学校テニス部の名顧問が周陽中学校に異動になっていました。当時の松本さんは、テニスもハンドボールもどちらも好きで、2つとも続けたい種目。しかし、「テニスをするなら名顧問のいる周陽中学校。ハンドボールをするなら強豪校の岐陽中学校」と、選択を迫られたのです。

「ものすごく悩みましたが、岐陽中でハンドボールをしようと思いました。ハンドボールをする楽しさがやっぱり勝っていたんです。」

松本さんは岐陽中学校に入学し、念願のハンドボール部に入部。しかし、チーム内の競争は想像以上に激しかったといいます。ただ、山口県大会では常に上位にいるものの、全国大会には出場できなかったそうです。

「久保中(下松)と岩国中と岐陽中の3校がいつも競っていました。全国大会に行けるのは2校だけで、中学最後の大会で岐陽中はわずか2点差で負けたんです。もう出場する気満々だったのですごく泣きました。地元周南市で試合だったんですけどね(笑)。」

中学3年生の全国大会行きを決める試合は、今回のインタビュー会場、キリンビバレッジ周南総合スポーツセンターの体育館で開催されたのだそうです。松本さんは体育館を見渡しながら、「今でもはっきり覚えていますよ」と懐かしそうに笑います。

全国大会への切符は逃したものの、松本さん個人はJOCジュニアオリンピックカップハンドボール大会の山口県代表に選出。「補欠だったのであまり試合に出られてないですが(笑)」と当時を振り返ります。

 

ハンドボールを続けるんだったら華陵高校一択!

岐陽中学校を卒業後、下松市にある華陵高校に進学した松本さんは、高校でもハンドボール部に所属します。山口県内にいくつかあるハンドボールの強豪校のうち、華陵高校を選んだ理由はなんだったのでしょうか。

「ハンドボールを続けるんだったら最初から華陵一択でした。単純に華陵でプレイしたい、華陵のハンドボールがやりたいって思ってたんです。もし公立の華陵に落ちて、私立を選択することになったら、そこではもうハンドボールはしない。将来につながる資格が取れる高校に入って、新しい道を歩むんだっていうくらいの覚悟を持っていました。」

その年、華陵高校ハンドボールに入部したのは、ほとんどが松本さんと同じく、JOCジュニアオリンピックカップハンドボール大会の山口県代表に選出された選手だったそうです。しかも、レギュラーでで出場していた選手ばかりだったとか。そのうえ、上の学年は、前年に開催された「おいでませ!山口国体」を制するために集まった猛者ぞろい!

「正直、試合に出れるのかな…、と思いましたね。中学よりさらにチーム内競争は激しかったです。でも、華陵の3年間ですごく技術が上がりましたし、これまで叶わなかった全国大会出場という経験もできました。」

チームメイトであり、ライバルでもある選手たちから刺激を受けながら、これまでよりさらにレベルの高い環境で練習に打ち込む松本さんは、ますますハンドボールに没頭していきます。そして、2年生時には全国高等学校ハンドボール選抜大会で優秀選手に、3年生時にはインターハイ(全国高等学校総合体育大会)の優秀選手に選ばれました。けれども、悔しい思いをした忘れられない試合もあるそうです。

「3年の夏のインターハイです。練習試合で一度も負けたことのない高校と決勝であたり、ボコボコにされて負けました。まさにへし折られたっていう感じの負け方でした。調子に乗っていたわけでは決してないのですが、結果的にはそう思われても仕方ない内容の試合でした。でも、この負けに学んだことは多く、どんな試合においても絶対に気を抜かないって思うようになりました。今でもこの試合を思い出し、常に気を引き締めて試合に臨んでいます。」

高校時代はほとんど負けの経験がなかった松本さんにとって、今でも鮮明に思い出される苦い思い出のようです。しかし、この経験が松本さんをさらに成長させたのは確か。ますます実力をつけていく松本さんに大阪体育大学からお声がかかります。

 

山口を飛び出し、ハンドボールの名門大学に

「大阪体育大学の監督から声をかけていただいたとき、びっくりしました。実は実業団の試合はよく見ていたのですが、大学のカテゴリーは全然見てなくて。調べてみると私が入る数年前に監督が就任されてから、ものすごい勢いで強くなりどの大会も決勝に行くような強いチームだと知り、必要としてもらえたことがすごく嬉しかったです。」

ほかの大学からもお声がかかったそうですが、その中で、監督自らが足を運んでくれ、しっかりと話せたのが大阪体育大学だったそうです。しかし、熱望されて入学し、ハンドボール部に入ったものの、高校とは全く異なる練習スタイルに最初はついていくのが精一杯だったといいます。

「華陵は短期集中の練習スタイルで、なおかつ自分たちの主体性をすごく大事にするチームでした。でも大阪体育大学はそれとは全くの真逆で、練習時間は倍以上長く、チームの決まりごとというか、伝統もすごく重んじる部だったので、いろんな面で揉まれましたね。1年のときはハンドボール部に入っているはずなのに、ハンドボールをした記憶がないくらい、サポートのの仕事をこなすのに必死でした。」

それでも全国各地から集まった1年生の中には、すぐに試合に出る選手もいたそうです。

「上手な子は試合に出ていましたね。でも、私は最初っからコートに立てるような、活躍できるようなタイプじゃなく、そのチームや環境に慣れてから実力が発揮できるタイプなんです。地道にやっていかないとダメなんですよね…。2年生でやっと時々ユニフォームがもらえるようになり、主力選手になれたのは3年生のときでした。」

1年生時に女子ジュニアアジア選手権の日本代表U-20に選出された松本さんですが、翌年の女子ジュニア世界選手権には声がかからず、「完全に実力不足でした」と振り返ります。思うように実力は発揮できず、ただひたすら練習する日々だった1・2年生時は、あんなに楽しくて仕方なかったハンドボールを嫌いになることも何度もあったといいます。

「現在は左サイドっていうポジションなんですけど、大学のときは試合に出るために、いろんなポジションに挑戦しました。ユニフォームをもらうために試行錯誤してたんです。でも、逆にそれが後々自分をすごく悩ませることにもなりました。本当はこのポジションがいいのに、違うポジションで起用される…、というふうに。」

中学、高校よりさらに厳しいチーム内競争。後輩にも優れた選手が何人もおり、松本さんは「後輩だけには絶対にポジンションを取られたくない!」と無我夢中で頑張ったそうです。

3年生から主力選手となった松本さんは、その後、西日本学生ハンドボール選手権大会、関西学生ハンドボール・春季リーグ、全日本学生ハンドボール選手権大会(インカレ)などで優秀選手賞を受賞するなど実力を遺憾なく発揮。そして、4年生の6月には第23回世界学生選手権の日本代表U-24に選ばれ、なんと大会最多得点(35得点)を記録しました。

「世界学生選手権の前、大学3年の3月には北國銀行に入部のお話をもらっていたのですが、私なんかでいいのかと迷いがありました。でも、U-24に選ばれて、大会最多得点を取って、そこでやっと『私はまだやれる』って思えたんです。この結果が出せたからこそ、自信を持って北國銀行女子ハンドボール部に入れました。」

次なるステージは実業団!銀行員と選手の二足のわらじ

松本さんが次のステージに選んだのは実業団、日本ハンドボールリーグに所属する「北國銀行ハンドボール部Honey Bee」でした。2014-2015シーズンからリーグ戦を連覇する日本一といっても過言ではない強いチームです(2021-2022シーズンも制し、現在8連覇中)。

「大阪体育大学からは私を含め3人がHoney Beeに入ったので、心強かったですね。北國銀行の行員として、15時までは銀行業務、夕方からはハンドボールの練習という日々が始まりました。」

ついに実業団チームの一員としてハンドボールをすることになった松本さんですが、やはり入部当初は苦労したそうです。そう、なぜなら松本さんは「チームや環境に慣れてからじゃないと実力が発揮できないタイプ」だから。そのうえ、怪我にも悩まされたそうです。

「もう本当に辞めようって何度も思いました。多分、大学時代以上に思いました。ハンドボールが本気で嫌いになった時期もあります。かなり厳しく指導を受けましたし、何より怪我からの復帰後がつらかった。思うように体が動かず、自分に納得のいかない日々が続くんです。」

時には地元で一緒にハンドボールをやっていた仲間に電話し、「もう明日辞めるって言いに行く!」と弱音を吐くこともあったそう。しかし、入社して6年。まだ松本さんはHoney Beeの選手としてハンドボールを続けています。

「地元の友だちに『あれ? 辞めるんじゃなかったっけ?』とからかわれています(笑)。やっぱり好きなんですよね、ハンドボールが。肉体的な限界を感じない限り、きっと辞められませんね。

慣れるまで実力が発揮できないという松本さんですが、Honey Beeに入団した直後の2017年2月にはカザフスタン代表との親善試合「ヤングおりひめトライアルゲームズ」の日本代表U-22に、2018年には第24回世界学生選手権大会の日本代表U-24に選出されました。そして、2019年5月には、2019年度の日本代表第1回強化合宿に招集されたのです。

「東京オリンピックを視野に入れた強化合宿の第1回目に招集されましたが、それ以降は呼んでもらえず、もちろん東京オリンピックにも出場できませんでした。でも、元々自分はそんな次元にいないと思っていたので、出られなかったことよりも、ちょっとでも候補に加わるところまで行けたことが私の中では大きかったです。なので、東京オリンピックは純粋な気持ちで応援できました。気持ちはもう次(パリ)に向かっていましたから。」

その後、2021年度第4回強化合宿から再び招集されるようになった松本さんは、2021年12月にスペインで開催された第25回女子世界選手権に日本代表「おりひめJAPAN」の一員として4試合に出場し、16得点を挙げました(日本は32チーム中11位)。

 

展開の速さとぶつかり合い。激しい攻防がハンドボールの魅力

「展開が速く、ぶつかり合いもある激しい攻防こそが、ハンドボールの魅力だと思います。プレイするのはもちろんですが、観戦するのも楽しいはず。ぜひ一度、試合を見てもらいたいですね。」

小学生の時にハンドボールに出会ってから、15年以上も選手として走り続ける松本さんは、ハンドボールの魅力を「スピード感と激しい攻防」と話します。次々と点が入るテンポの良さもあり、飽きることは絶対ないと言い切ります。

「ハンドボールは私の人生の一部。中学の時、岐陽中を選んでいなかったら今の私はありません。あの時、ハンドボールを選んでよかったなって思っています。」

松本さんが所属する北國銀行Honey Beeは、2021−2022シーズンのリーグ戦を全勝で終えました。まさに国内最高峰の社会人女子ハンドボールチームです。そのチームの主力選手としてプレイする松本さんの視線の先には、もうパリオリンピックが見えています。

03.インタビュー

大好きな桜並木!「中国料理 敦煌」も懐かしい(笑)

松本さんにインタビューをしたこの日、桜並木の桜は満開を迎え、淡いピンクの花びらが時折ひらひらと舞っていました。周南市で生まれ育った松本さんは、大学へ進学するために県外へ出るまでは、何度も何度もこの辺りを通ったといいます。

「毎年春には必ず周南に帰っているんですが、こんなふうに満開の桜並木を歩けるのは滅多にないんです。今年は本当にタイミングバッチリでした。私が好きな桜スポットはこの桜並木と東川です。子どもの頃は東川ぼんぼんまつりにもよく行きました。この辺りは実家も近いですし、ほんとよくウロウロしたんです。あ! あの敦煌もよく行ったんですよ。」

松本さんが指差すその先に見えたのは、「中国料理 敦煌 山口周南店」。中学校の頃、試合後の打ち上げに、ハンドボール部のみんなでよく食べに来ていたんだそう。「高校時代によく通ったお店は?」と質問すると、少しだけ悩む松本さん。聞けば、高校まで片道約10kmの距離を自転車で40分近くかけて通っていたそうです。

「毎朝7時過ぎに家を出て、自転車で40分かけて学校へ。学校に着いたらまずは朝の自主練です。授業が終わったら部活をして、そこから40分かけて自転車で帰ります。だから、行きも帰りも大体のお店は閉まっていたと思います。あえて言うなら、周防花岡駅の近くにあったセブンイレブンです。冬はおでんを2品くらい買って、食べてから帰ってましたね。あとは、小屋みたいな焼き鳥屋さんもあって、そこで何本か買って食べることもありました。毎日運動するから晩ご飯まで耐えられなくて(笑)。」

松本さんはなかなかハードな高校時代を過ごしていたようです。しかし、自転車で通ううちにどんどん通学にかかるタイムは縮まり、最終的には30分くらいで学校に行けるようになったとか。行きの最終関門、校門へと続く坂道は、雨の日以外「爆漕ぎ」していたそうで、「いい筋トレになっていた」と教えてくれました。

周南市は自然が豊かで、街もきれい。しかもどんどん住みやすくなっている

「小中高と練習、練習の日々で、頭の中はハンドボールのことばっかり。なので、周南市の魅力に気づかされたのは、大学進学を機に県外に出てからでした。周南市は海もあって、山もあって、働く場所もたくさんある。それに、街はすごくきれいだし、都会ほどではないけれど賑わいもある。いろんなことがちょうどいい街なんだって初めて思いました。大阪も石川もいいところですが、私にはやっぱり周南市がほっと落ち着ける場所ですね。」

近年、JR徳山駅周辺や徳山動物園をはじめ、いろんな場所がどんどん新しくなっている周南市。松本さんは帰省するたびに、その変わりゆく様子にワクワクしているそうです。

「徳山駅を降りた瞬間に、『あ!また変わってる!』って思います。帰る度にますます住みやすくなっているイメージ。その変化の仕方も周南らしく、いいものは守りつつ、新しい風をうまく取り入れているような、そんなふうに感じています。」

けれども、松本さんにとって周南市の最大の魅力はやっぱりハンドボールに関すること。「結局ハンドボールのことですみません」と笑いながら、周南市の魅力について話してくれました。

「山口県、特に周南・下松・岩国はハンドボールが盛んな地域で、小学生からハンドボールができます。実は、全国的に見ても、小学生からハンドボールができる地域はすごく少ないんですよ。しかも周南市は、地元で働きながらスポーツ(ハンドボール)を通じて地域を元気にしたいという女子ハンドボールチーム「YMGUTS」もあります。周南市はハンドボールをするのにもってこいの地域なんです。」

何のスポーツをしようか迷っている周南市の子どもたちには、ぜひハンドボールをやってほしいと松本さんは続けます。

「残念ながらハンドボールは、野球やサッカーほどメジャーではありません。競技人口はまだまだ少ないのが現状です。でも、競技人口が少ないからこそ、上が狙いやすいっていうメリットもあります。ほかの種目では難しくても、ハンドボールならば全国大会や世界大会への切符が掴みやすい。しかも、周南市は小学生からハンドボールができる希少な地域ですから、ほかの地域でやるよりも上が目指しやすいはず。だから私は周南市の子どもたちにハンドボールをやってもらいたいし、周南市の最大の魅力はハンドボールができる環境が整っていることだと思っているんです。」

ハンドボールで周南市がもっともっと盛り上がることに期待

「ハンドボール人口が増えれば、周南市はもっともっと盛り上がると思う。」

松本さんはハンドボールの楽しさ、面白さをもっと多くの周南市民に知ってもらいたいだけでなく、ハンドボールで周南市を元気にすることも考えているそうです。

「山口県は男子も女子もハンドボールが強い。中学校も高校も結果を残しているところがたくさん。なのに、それだけで終わってしまうなんて、もったいなくないですか? 私の願いは、周南市から一人でも多く上を目指す、上で活躍する選手を増やして、『山口県といえばハンドボール』というところまで持っていくことなんです。」

目を輝かせながら、周南市とハンドボールの未来について語る松本さん。ハンドボールによって地域が盛り上がり、元気になり、ハンドボールを観たい人やプレイしたい人たちも集まってくる未来…、松本さんの夢は果てしなく広がります。そして、将来は、自分も周南市でハンドボールに関わる何かをしたいと語ってくれました。

「いずれは周南市に戻ってきたいと思っていますが、今はそのタイミングじゃない。現状のやるべきことをしっかりとやって、アスリートとしてもっと力をつけないといけませんから。目指すのは、周南市の子どもたちに憧れてもらえるような強いハンドボール選手です。そして、将来戻ってくるときを迎えたら、子どもたちに教えたり、講演したりなど、どんな形でもいいから周南市でハンドボールに関わっていきたいですね。」

現役の間に叶えたい夢は、周南市で試合をすること。3年前に下松市では試合をしたそうですが、周南市ではまだ試合をしたことがないそうです。

「思い出がいっぱいあるキリンビバレッジ周南総合スポーツセンターの体育館で試合がしたいですね。YMGUTSが日本リーグに参加してくれたら試合ができるのに…、なんて妄想してしまうこともあります(笑)。」

松本さんの弟さんがコーチをしている縁もあり、帰省した際に「LITTLE GUTS」の練習に顔を出すこともあるとか。

「子どもたちの笑顔がいいですね。ここからトップアスリートが生まれるかもしれないと思うと嬉しくなります。周南市には、今のままハンドボールができる環境を守っていってもらいたいです。」

周南市で一番好きな景色は実家のベランダから眺める工場夜景

最後に周南市で一番好きな景色について尋ねてみました。松本さんが選んだのは、子どもの頃から見慣れた景色でした。

「実家のマンションのベランダから眺める工場夜景ですね。全然特別じゃないけど、その夜景を見ながら育ってきたので。何にも遮るものがなく、ただただキレイな景色が広がっているんです。夜景を眺めながらぼーっとしたり、深呼吸したり、スマホで撮影してみたり、そうやってずっと過ごしてきました。子どもの頃も今もずっと変わらない、本当に美しい景色です。」

「全然特別じゃない」と松本さんはいいますが、そうでしょうか? 松本さんにとっては、ほかの人では分かり得ない、唯一無二の特別な景色に違いありません。

「この夜景ももっと多くの人に見てもらいたいな…」、そうポツリと呟く松本さんからは、周南市への深い愛と誇りが感じられました。

パリオリンピックまであと2年。ぜひその舞台で生き生きとプレイする松本さんを応援したいものです。今後ますますのご活躍を期待しています!

04.関連リンク

記事:藤井 香織 / 写真:川上 優
執筆時期:2022年3-7月
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