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株式会社レノファ山口 代表取締役社長|小山 文彦さん

レノファ山口FCの新社長。「レノファ山口の活躍で、山口をもっと楽しくしたい」。

株式会社レノファ山口 代表取締役社長|小山 文彦さん
01.ヒト

1973(昭和48)年生まれ、周南市須々万出身。沼城小学校、須々万中学校、徳山高等学校と高校までを周南市で過ごし、山口大学へ進学を機に山口市に。大学を卒業後、東京で会社員を経験し、2006(平成18)年にシステム開発やITコンサルティングなどを手がける株式会社ゴーガを設立。その後、同社を売却し、2016(平成28)年に周南市に本社を置く365y株式会社を設立し、代表取締役に就任(現任)。2022(令和4)年1月、「もっと故郷に貢献したい」との想いから、Jリーグ・レノファ山口FCの運営会社である株式会社レノファ山口の代表取締役社長に就任。現在、株式会社レノファ山口の強化と黒字化を目指し日々奔走する。

02.モノとコト

2015年、J3加入一年目にリーグ優勝!3年間でカテゴリーを3つ上げた奇跡のチーム。

現在、山口県民が当たり前の存在として応援しているプロサッカークラブ「レノファ山口FC」。この場を借りて、改めてその歴史を振り返ってみましょう。

レノファ山口FCの起源は、1949年に発足した「山口県サッカー教員団」。1976年に第56回天皇杯に中国地区代表として初出場を果たし、その後、山口県リーグと中国リーグを行ったり来たりしながらも、着実に実力をつけていきました。
一方で1991年にJリーグ(日本プロサッカーリーグ)が設立。これを機に、日本中でサッカー熱が高まり、三浦和良、ジーコ、アルシンド、ラモス瑠偉など、次々に登場するスター選手の活躍を見た子どもたちにとって、サッカー選手は憧れの職業の一つとなっていきました。
そんな中、2006年、山口県サッカー協会の「J1を目指すチーム創り検討委員会」が動き始めます。山口県サッカー教員団を母体として、Jリーグ加盟を目指すクラブの創設を発表したのです。チームの名称は公募により「レノファ山口FC」に決定。山口県サッカー教員団からレノファ山口FCに生まれ変わり、J1への道を歩み始めた瞬間でした。
それからおよそ8年間、中国リーグでその実力を遺憾無く発揮し、2013年末に2014年度からのJFL(日本フットボールリーグ)への入会が承認。翌年の2014年にはJFLで4位となり、J3への昇格を決めました。さらに、J3初年度にあたる2015年にリーグ優勝し、J2昇格を果たしたレノファ山口FC。その活躍は山口県民を興奮の渦に巻き込み、チームの存在は全国に知られるようになりました。
地域リーグからJFL、J3、J2と、たった3年で3つのカテゴリーを上げるという快挙を成し遂げたレノファ山口FC。今やすっかり山口県民に定着していますが、実はJリーグに加盟してまだたったの8年なのです。現在、J2を舞台に奮闘するレノファ山口FCがJ1に昇格するその日を、山口県民は今か今かと待ち続けています。

2022年1月、新社長として周南市出身の小山文彦氏を迎える。

2022年1月、株式会社レノファ山口は、設立した2013年から9年間社長を務めた河村孝前代表取締役社長の後任として、小山文彦氏を迎え入れました。小山社長は、周南市出身の48歳(当時)。周南市に本社を置く365y株式会社の代表取締役で、起業支援やスポーツ支援を手掛けている人物です。


実はサッカープレイヤーの経験は全くないという小山社長。社長就任を決断したその理由は、「地元に恩返しできるチャンス」と考えたからといいます。そして何より、レノファ山口FCがJリーグ加盟した頃からのファンなのだそうです。
「プレイヤー歴はないですが、サッカーファン歴は長い。会社経営16年の経験を活かし、レノファ山口FCの活躍を支えたい」と小山社長。続けて、実際に就任してみて感じたチームの印象を聞いてみました。

「選手間の雰囲気が非常にいいと感じました。昨年の途中から名塚監督に交代し、シーズン当初から指揮をされるのは初めてなのですが、もともとヘッドコーチをされていたので選手との関係性が築けているんですよね。そんな中でも厳しく指導され、選手がこれまでよりも走るようになった印象があります。もちろん、選手間の連携も素晴らしい。ベテランが活躍し、若手が躍動するという動きができています。競合相手でも怯まず戦えるチームになっているのが魅力です。」

チームの雰囲気、選手と監督との関係性、戦う姿勢全てにおいて高く評価する小山社長ですが、経営面では課題が多いといいます。そして、その課題をクリアすることこそが自分の役割だと熱く語ってくれました。

J1昇格のためにも赤字解消を。いつか現在の2倍の収益を目指す。

小山社長は、自身に求められているのは財務問題の解決と断言します。

「2020年度決算は純損益で1億3800万円の赤字です。そして2021年度は1億2000万円。ここ数年、コロナ禍の影響を受け、思うように集客できなかったことも原因の一つです。とはいえ、Jリーグはすでにアフターコロナに舵を切りました。財務基準の特例措置は2021年度末で終了し、今後は従来の基準に戻して、債務超過や3期連続赤字の場合、十分なクラブライセンスが交付されなくなるのです。レノファ山口FCはJ1昇格を目指しているのに、この財務問題が解決できなければJ2で戦うことすらできなくなります。」

小山社長は現在の経営状態を健全ではないと言いながらも、きっと立ち直っていける状況にはあると続けます。「運営をできるだけ効率的にし、チームの予算を可能な限り確保したい」と小山社長。そして、ゆくゆくは今の2倍の収益にし、有力選手の獲得にも乗り出したいといいます。

「就任当初は、会社の仕組みやスタッフの特性・役割に注目しました。そしてチーム内の成長過程における財務や他チームと比較したときのコスト配分の分析、チームを運営するうえでの世間一般の数値指標の把握に努めてきました。事態は待ってくれませんので、具体的な施策をできるところから一つずつ実行しながら、一人でも多くの方に試合を見てもらえるように変わっていきたいと思います。」

ファンとのコミュニケーションを強化。
徒歩で来場すれば無料観戦できる365yシートの提供。

「集客はまさに経営の一部」という小山社長は、一人でも多くレノファ山口FCファンを増やすため、ホームゲームでの観戦者を増やすため、いくつかの試みを行っています。

「これまでのレノファ山口FCは、ファンとのコミュニケーションが弱かったかなと思っています。ですから、SNSを活用したコミュニケーションに積極的に取り組んでいますし、先日はサポーターと私たち運営側が熱く意見を交わす『レノファ会議』も開催しました。レノファのサポーターさんの中には、フロントにもっと頑張ってほしいと強く訴える方も多いですが、もっと自分自身が関わって直接レノファを変えていきたいという方もまた多いのです。今後はそんな自主的で積極的な方々と繋がり、みんなで作る市民クラブとして成長していきたいと考えています。」

第1回レノファ会議ダイジェスト

また、小山社長が経営する365y株式会社がスポンサーとなり、ホームでの各試合(一部除外)の先着365名を無料で招待する「365yシート」も設けました。

「365yシートとは、レノファ山口FCのホームグラウンドである維新みらいふスタジアムに、ご自宅から徒歩で来場された先着365名の来場者を無料でご招待するシートです。目的は、交通渋滞の緩和、CO2の削減、健康増進、そして、近隣住民の方に対する日頃の協力への謝意です。実際、有料駐車場(本当は多目的グラウンド)から車を出すだけでも30分以上かかってしまう場合もありますので、徒歩で30分以内の場所から来られる方は歩いて来られることをおすすめしたいです。」

これらの取り組みに加え、アウェー戦でのパブリックビューイベントの実施も積極的に行なっていく予定だそうです。

レノファ山口FCは山口県の誇り。騙されたと思って一度観に来てください。

「初めて社長就任のお話をいただいたときは、率直に『面白そう!』という気持ちが強かったです。でも今はプレッシャーや責任感の方が圧倒的に大きいです。」

Jリーグが設立された当時、小山社長はまだ大学生。山口大学でも「山口県にプロサッカークラブを創りたい」と言っている人はいたそうですが、小山社長は「難しいだろうな…」と思っていたそうです。

「ほぼ無理だと思っていたのに、10年前くらいからだんだん現実的になってきて、そして、それを成し遂げた。しかも、J2を舞台に今も戦い続けている。東京の知人に山口県でプロサッカークラブの経営をしていると伝えると『J3?』と聞いてくる人も多いです。J2だと答えるとみんな驚くんですよね。山口県の規模とか知名度を考えるとそう思われるのかもしれません。」

山口県にプロサッカークラブが存在し、J2にずっといられるのはまさに努力の賜物であり、J1を目標に走り続けられているのは、奇跡に近いことなのかもしれないと小山社長は続けます。

「レノファ山口FCは山口県の誇りだと思っています。山口県を盛り上げ、山口県の素晴らしさを他県に発信する大切な要素だとも。」

最後に、小山社長からまだレノファ山口FCの試合を観戦したことがない方へメッセージをお預かりしました。

「騙されたと思って一度試合を観に来てください。レノファ山口FCについてあまり知らない人は、『あんまりお金をかけたくないな…』と思われるかもしれませんが、初めての観戦だからこそメインスタンドでもバックスタンドでも構いませんので、一番見渡しやすいセンターラインに近い席を選んでいただきたい。選手たちの懸命に駆け回る姿、スタンドの熱気を感じていただければ、きっと楽しんでいただけるはずです!」

「私も生涯レノファ山口FCのファンであり続けます」と小山社長。「山口県を楽しくするには、レノファ山口FCが活躍することが大切」、そう言い切る小山社長の表情からは、夢と希望が感じられました。これからのレノファ山口FCは、これまで以上に地域を巻き込み、地域と一体となり、ますます盛り上がっていきそうです。

▼令和4年4月15日(金)に行われた周南市と株式会社レノファ山口との「オール山口 Jリーグで地方創生」環境保全に関する連携協定の締結式の様子

03.インタビュー

生まれてから高校を卒業するまで、ずっと周南市。
周南市須々万に生まれ、沼城小学校、須々万中学校、徳山高等学校と、高校を卒業するまでずっと周南市で過ごしてきた小山社長。どんな幼少期・小中高時代で、どんなふうに周南市で過ごしていたのかをお聞きしました。

「意外に思われるかもしれませんが、物事をはっきりと決められないというか、小さい頃は自己主張をしない子どもでしたね。今とは全く異なる、割と意志の弱い子でした。」

小学校の6年間は柔道をしていたそう。ただし、「結構細身で、軽くって、めちゃめちゃ弱かった」といいます。それでも6年間続けられた理由はなんだったのでしょう?

「親も兄弟もみんな柔道をやっていて。全然勝てなくて悔しい思いもしていましたが、ただなんとなく続けていました。そんな感じだから全然身が入らないんですよね。今思えば、その頃の自分は『やめる』という選択肢を持っていなかったんですね。」

中学校の3年間はバスケットボール部に所属。この頃の小山社長は自分の器用さに悩まされていたといいます。

「小学校の高学年で水泳を始めたんですが、下手に器用だからすぐに泳げるようになりました。でも結局は見よう見まねだけでやってるものですから、ある程度までいくと、そこからさらに早く泳げるようになることはない。バスケットボールも同じ。結局中学1年から3年まで背番号は変わらなくて、最後まで補欠でした。『やらされている』とは思ってはいませんでしたが、あまり積極的にやっていたとも言えない。『どうやったらうまくいくんだろう』みたいなことをしっかりと考えるプロセスが抜けちゃうんですよね。あまり追求をしない癖みたいなものがついてしまっていました。」

高校の3年間は登山部に所属。登山部を選んだ理由を聞くと、「友人に誘われたから」とのこと。

「一度野球がやりたいと思っていたんですが、甲子園に出場した直後の徳山高校に入学したので、これは入部できないなと。それで、サッカー部に入ろうかなと思っていたときに、友人に声を掛けられたんです。でもその誘ってくれた友人はすぐにやめてしまいました。登山部は黙々とひたすら登るので結構辛いんですよね。」

友人がやめた後も小山社長は登山部を続けます。その理由は、「やめる理由もなかったし、キツイけど、いろいろなところに行けて面白かったから」だそう。登山は小山社長と相性が良かったようで、何かに打ち込むことの楽しさも知ったといいます。

毎日登った岐山。途中の景色も山頂で見上げる空もいい思い出に。

小山社長は高校時代、登山部でほぼ毎日岐山に登っていたそうです。荷物を担いで登る日もあれば、何も持たず走って登る日や、他の部員をおんぶして登る日もありと、メニューを変えながらただひたすら頂上を目指していたとか。

「登り切ると山を削ったような公園になっていて、そこからは特に何も見えないんですけど、見上げる空は美しかったですね。おそらく、登り終えた達成感がより美しく見せていたんだと思います。登っている途中に見えるいろんな景色も良かったし、湧水を飲んだりしたことも。いろんな思い出がありますよ。」

小山社長曰く、部活動は高校生活の中心だったとか。岐山以外にも印象に残っていることがたくさんあるそうです。

「部活動自体が面白かった。隣がサッカー部、その隣が陸上部、またその隣には別の部が…と、いろんな部室が並んでいて、それぞれがいろんな動き方をしていて。それを見るだけでも楽しかった。」

高校時代を思い出し、自然と笑みがこぼれる小山社長。思い出話は続きます。

「徳山高校の登山部は実績があったので、割と予算にゆとりがありました。なので、いろんな山に登らせてもらいましたね。宮崎に3泊4日で合宿に行ったり、四国の山にも登ったりしました。とはいえ、私たちにはテントがあるから宿泊施設とかは使わないので、そもそもそんなにお金がかかる部ではないんですけどね。でも、交通費を補助してもらえたり、食事代だけで済んだりとありがたかったです。登山部では、挑戦することの面白さ、達成したときの喜びや充実感を学びました。登山を通して人間的に成長した部分はあると思います。」

大学進学を機に市外に住んでみて、周南市の良さを改めて実感。

高校を卒業後、山口大学に進学した小山社長は初めて周南市以外の場所に住むことになります。

「当時の山口市は、今と違って田んぼがいっぱいでした。最初は体育会のクラブに入っていたのですが、その後アルバイト先の仲間と一緒にサークルを作って、バスケットボールやバレーボールをしていましたね。思えば、これが新しく組織を創る初めての経験でした。この経験は後の起業に生かされていると思います。大学時代はいろんなアルバイトを経験しましたが、不動産屋さんに勤めたこれがきっかけでパソコンに強くなりましたし、振り返ればこの時期の経験が全て今に生きています。」

大学を卒業後、小山社長は就職のため上京。大きく環境が変わり、いろんな人たちと出会ったことで、人生は多種多様であり、自分で選択することの大切さを学んだといいます。

「子どもの頃はまさか自分が起業するなんて思ってもみなかったですし、ましてやレノファ山口FCの経営をするなんて想像すらできなかった。人は変わるものですね。」

「上京するときに、いずれは周南市に戻ってくるつもりでしたか?」と尋ねると、「戻りたい気持ちはありましたが、いい戻り方はわかりませんでした。」と小山社長。けれども、常にどこかで「周南市で何かできないだろうか」と考えていたそうです。

「やっぱり周南市に帰ってくるとホッとするんですよね。周南市ならではの人の温かさ、穏やかな暮らしはやはり愛おしいです。考えてみれば、自然は豊かだし、働く場所はあるし、そんなに田舎過ぎないし、いいまちですよね。私を育ててくれた場所ですから、いつも恩返しは意識していたと思います。」

フランスW杯でサッカーにどハマり。レノファ山口FCのJリーグ加盟を知り歓喜!

「ちょうど上京した頃に、フランスワールドカップの予選をやっていました。新宿コマ劇場の前に人がたくさん集まって応援している風景を目の当たりにして、『うわー!』って興奮しましたね。すっごく楽しくて、そこからサッカーを観戦するようになりました。」

元サッカー日本代表選手の中田英寿さんがプロデュースするカフェ「nakata.net cafe」がワールドカップが開催されるごとにオープンするので入り浸ったり、日韓ワールドカップは開幕戦を見に行ったりと小山社長のサッカー熱は高まるばかり。しかも、サッカーゲーム「ウイニングイレブン」を始めたことで、世界中のプロ選手に関する知識が深まり、観戦とゲームの両輪でさらにどっぷりとサッカーにハマっていったのだそうです。

そんな小山社長に飛び込んできたのが、山口県にプロサッカーチームができたというニュース。偶然にも、レノファ山口FCが誕生したのは、小山社長が東京で会社を設立した2006年だったのです。

「不思議なご縁といいますか、勝手に近しいものを感じていました。それ以降は、帰省した際は友人とホームゲームを、東京近郊では妻と一緒にアウェーゲームを観戦するようになり、いつの間にかレノファ山口FCが自分の人生における一つの大きな楽しみとなっていました。」

ファンとして応援する中で、河村前社長やスタッフたちと関わるようになった小山社長。思いもよらない社長就任の話が舞い込み、真っ先に思い浮かんだのは「地元への恩返し」だったのだとか。

「レノファ山口FCの社長就任は地元への恩返しであり、地元で活動するきっかけとなるチャンス、そう思って大役を受けることにしました。」

現在、レノファ山口FCの存続をかけて走り回る小山社長の原動力は、サッカーへの愛、そして周南市への愛なのです。周南市にレノファ山口FCファンを1人でも多く増やしたい。

「とにかく周南市にレノファ山口FCのファンを増やしたい。ホームスタジアムである維新みらいふスタジアムまでそんなに遠くはありません。新幹線で徳山駅から新山口駅まで一駅、新山口駅からはシャトルバスも出ているのでぜひ観戦しにきてほしい。もし現地に足を運べなくても、みんなで集まってDAZN(スポーツ専門のライブ&見逃し配信サービス)で観戦するとか、そんな文化が周南市に根付いてくれるといいですね。」

「周南市民の会話の中に、レノファ山口FCの話が自然に上がってくるようになってほしい」と小山社長は続けます。

「レノファ山口スポーツクラブによるスクールはたくさんやっていますし、徳山校も光校もあるので、ぜひ子どもたちに参加してもらいたいです。今後は周南市でもファンの集いをしたいですね。市役所も駅前交流広場もいい施設がそろっていますから、ぜひ活用させていただきたいです。」

そして、小山社長には、365y株式会社の代表取締役としても、周南市でやってみたいことがあるそうです。

「周南、徳山、須々万、自分が生まれ育ったところを中心に、できるだけローカルにアプローチしたいという思いは強くあります。以前も周南市でハッカソン(ITエンジニアやデザイナーなどが集まり、特定のテーマに対して意見やアイデアを出し合うイベント)をやっていたのですが、コロナ禍でできなくなってしまって。いずれまた新たな挑戦をするつもりです。」

ここ10年で周南市は明るくなった。今後の発展にも期待。

周南市を離れた期間はおよそ20年。その間も幾度となく帰ってきていた小山社長は、まちの変化をずっと眺めてきたそうです。そして、現在は周南市に拠点を置き、以前より周南市を肌で感じられるように。

「改めて穏やかなまちだと思いますし、変わらず居心地がいいです。でもここ10年ですごく明るくなった気がしますね。JR徳山駅前の再開発などインフラがリニューアルされ、過ごしている人たちの気持ちもすごく上向きになっているのではないでしょうか。ただ、住みやすいからこその弊害はあると思っています。」

小山社長が考える「住みやすいからこその弊害」とは、現状に満足し「何か新しいことをやろう」という動きが少ない点だとのことです。

「まだ私が周南市の企業の方と十分に接触できていないので、実際のところは分かりませんけど、余計なことはしない、目立ちたくない、そんな気風が徐々にまちの活力を抑えているような気がします。でもそれはまだまだチャンスが転がっているということではないでしょうか? 動き出したら大きく飛躍する、そんな可能性を周南市は秘めていると思います。」

インタビューの最後に、小山社長が好きな周南市の景色を尋ねてみました。

「うーん…、パラパラとは思いつくけど、ここだっていうところはどこだろう…。須々万をはじめとする田園風景や、周辺のゴルフ場とか。昔の徳山駅周辺は活気があって良かったですね。これから再開発が進めば、あの活気がきっと取り戻せるだろうと期待しています。」

ちなみに周南市の魅力は「食」だとも話してくれた小山社長。行きつけの店は、徳山港町にある「ふく処 快」だそうです。

「同級生がやっている店なんですよね。年に一度くらいは行っています。同級生が周南市で頑張っている姿を見ると、やっぱり嬉しくなりますね。」

小山社長の言葉の端々からいかに周南市を愛し、大切に思っているのかが伝わってくる、貴重で、しかも楽しいひと時となりました。今後のレノファ山口FCの飛躍はもちろんのこと、小山社長という人物からも目が離せそうにありません。小山社長は、間違いなく周南市を元気にするキーパーソンの一人です。

 

04.関連リンク
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