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俳人|宇多喜代子さん

旧徳山市で生まれ、約70年俳句と共に歩んできた人生。 「私の体は徳山でできている」

01.ヒト

1935(昭和10)年、周南市(旧徳山市)生まれ。1953(昭和28)年、父の転勤で大阪府に移り住み、俳誌「獅林」の主宰・遠山麦浪(ばくろう)氏の教えで俳句を始める。1970(昭和45)年、桂信子氏主宰の「草苑」創刊に参加し、1978(昭和53)年に同誌編集長へ就任。
現在は、現代俳句協会特別顧問、一般社団法人の俳句同好会「草樹会」の会員代表を務める。1982(昭和57)年、デビュー作句集「りらの木」が第29回現代俳句協会賞受賞。2001(平成13)年、第35回蛇笏賞受賞、2012(平成24)年、第27回詩歌文学館賞受賞、毎日芸術賞、紫綬褒章など多数受賞。2019(令和元)年、日本において文化の向上発達に関し特に功績顕著な方として文化功労者に選ばれる。2021(令和3)年、周南市特別文化功労賞受賞。句集に「夏の日」、「象」、「記憶」など。著書「ひとたばの手紙から」、「里山歳時記 田んぼのまわりで」、「戦後生まれの俳人たち」、「俳句と歩く」、「厨に暮らす」など。

02.モノとコト

旧徳山市で生まれ、「私の体は徳山でできている」と語る宇多さん。大阪のご自宅へ伺い、かつての周南市や約70年俳句と共に歩んできた宇多さんの人生についてお聞きしました。

●初めての師、俳句との出会い
俳句の出会いは、旧徳山市から大阪へ引っ越した高校3年生の時。俳句を習っていた祖母が親しくしていた僧侶・遠山麦浪さんとの出会いがきっかけです。
昔、祖母から短歌を詠んで聞かせてもらってはいたものの、馴染めなかったという宇多さん。「でも祖母と一緒に麦浪さんにお会いしたとき、勧められて作った俳句が褒められて、それがとてもうれしくって。麦浪さんは、非常に高潔で洒脱(しゃだつ:俗気がなくさっぱりしていること)な人で素敵だなと思ったこともあり、俳句を始めました」

それからは俳句を持ち寄って批評しあう「句会」へ参加するようになりました。当時、若い女性が句会に参加するのは珍しかったそうです。
「私にだけお菓子を出してもらえて、シュークリームなどをいただきました。当時シュークリームなんて見たこともなかったから、おやつに釣られて句会へ行っていました」と笑顔で話します。

●俳句を続けるためにアルバイト
趣味でたしなむ人は多いが、生業にするのは難しい俳句の世界。俳句にすっかり魅了された宇多さんは、続けたい一心で、歯科医院でアルバイトをしながら俳句を続けたといいます。
1950年代後半になると新聞社などが主催するカルチャーセンターが開設され始め、俳句教室で講師を務めるようになりました。

●俳人としての歩み
そんな宇多さんに転機が訪れたのは1970(昭和45)年。俳人・桂信子さんが俳誌「草苑」を創刊する際、声がかかり本格的に俳人活動を開始することになります。
45歳となる1980(昭和55)年には、デビュー作の句集「りらの木」を発表し、現代俳句協会賞を、2001(平成13)年には、句集「象」が俳句界で最も権威ある賞とされる蛇笏(だこつ)賞を受賞します。
また、2006(平成18)年には、俳句界で最も歴史ある全国組織の団体「現代俳句協会」で会長を就任。紫綬褒章や文化功労者に選ばれるなど、俳人として歩み続けます。

花の色は水上にあり夜市川
父までの瓦礫を越えるりらの枝

 

●俳句の魅力は

「これからも5年に一度は句集を出すつもり」と話す宇多さんに、俳句の魅力について尋ねてみました。
「短歌と違い、俳句は短くて、点で捉えられるところがいい。型が決まっていて制限があり、余計なことを言わなくていいので私の性分に合っていました(笑)。短歌だと少し知識が必要ですけど、俳句は特別な教育は必要ありません。字が書けたら詠めますよ。それに吟行と称して戸外に行っても、家にこもっていても俳句が詠めます」
特別な道具も必要なく、ペンとメモ帳があればどんな場所にいても詠めるのも俳句の魅力の一つです。

俳句を詠む上で欠かせないのが、季節を表す「季語」です。季語の魅力について宇多さんはこう話します。
「若い頃は季語はいらないと思っていたけど、今では季語を作ったのは俳句の大きな手柄だと思います」
続けて「私が誰かに本をお薦めするときは『歳時記』を、日本人の必携の本として紹介しています。今は季節感が薄れてきていると言われますが、日本にいたら季節を楽しまないと!」と話します。

春 立春の今日あれをしてこれをして
夏 夕立の半透明をふりかぶる
秋 田をめぐり来し朔日の赤柏
冬 なにもかも倒れて真冬深みたる

さらに、俳人には「定点観測が重要」と宇多さん。
「私はよく『自分の木を一つ決めること』とお伝えします。庭に生えている木でも、駅や公園の木でもいい。その木を観察すると、3ミリの芽が5ミリや1センチに伸びていく。毎日の変化がおもしろいのです」
季節の移ろいや日常の些細な変化を感じ取ることから俳句作りが始まっているのだと感じました。

03.インタビュー

  • 徳山での戦禍の記憶

1935(昭和10)年に生まれ、幼少期は徳山一番丁で過ごしていましたが、特に心に残っているのは戦争の記憶だということでした。

第二次世界大戦中である1945(昭和20)年の7月、徳山に軍燃料廠(しょう)があったことから爆撃を受け、町は火の海になりました。当時、宇多さんは10歳。

「今では徳山の町が丸焼けになったことを知っている人も少ないかもしれません。B29爆撃機から焼夷弾がパラパラと落ちてきて…私が住んでいた家も全焼しました」

 

八月の赤子はいまも宙を蹴る

 

「あの日、道で赤ちゃんが手と足を広げたまま転がっていて…。今もあちこちで戦争が起こっているけど、赤ちゃんが戦場で亡くなるときはこういう姿なんだと思いました」

宇多さんの中で戦禍の記憶は、今も深く刻まれています。

 

稲の原祖母と二人の敗戦日

 

  • 戸田での田んぼの記憶

空襲直後、祖父母が住んでいた戸田の家に、母と共に引っ越しました。田畑に囲まれ、農業を営んでいた祖父母の家で過ごした記憶も深く根付いています。

「子どもながらに手伝いをよくしていました。薪を使ったお風呂沸かしやニワトリの世話、米作りなど、工夫しながら作業した経験は農業を好きになるきっかけでした」

戸田で過ごした日々は、宇多さんにとって俳句作りの大きな礎となりました。

 

いつしかに余り苗にも耳や舌

早苗饗(さなぶり)のいちにち湯野の湯の熱き

 

「田んぼにまつわる俳句は、全部がこの頃の記憶につながっていると言っても過言ではありません」

俳句雑誌の編集長時代には、田んぼの特集を組まれたそう。

宇多さん自身も、お米が好きすぎて、田んぼを借りて珍しい品種の米を育てたり、中国まで米のルーツを訪ねに行ったりしたこともあるそうです。

「俳人の中でも米と言えば私ですよ」と笑顔で話します。

  • 旧徳山市で過ごした学生時代の思い出

 

戸田で約3年を過ごした後、福川へ引っ越し、桜ヶ丘中学校(現:桜ケ丘高校)へ通うことになりました。

「私の人間形成において、最も影響を受けたのは中学時代です。本当に素敵な先生がたくさんいらっしゃり、自由な校風で伸びやかに過ごすことができました。私はエッセイのような文章をよく書いていましたが、それを先生が大変褒めてくださって。その先生に出会わなかったら、文章を書いたり読んだりしていなかったと思います」

 

福川から徳山まで列車で通学していた宇多さん。

「徳山駅前は戦後で焼けてしまったけど、復興の勢いがすごかったですね。大規模な区画整理でできた駅前の広場には青森からトラックでリンゴを売りに来ていたんですよ」そのうちに商店街も栄えていきました。

その後、徳山高校へ入学しますが、宇多さんの父が復員し1学期の途中には仕事の関係で大阪へ引っ越すことになります。

「友達がたくさんいたから離れがたくて、泣きの涙で大阪へ行きました。1週間すれば新しい暮らしに慣れましたけど(笑)」

 

徳山高校の応援歌「山は岐山」の一節をよどみなく暗唱する宇多さん。

「『山は岐山の初紅葉 海は鼓海の波の音』いいフレーズだと思って」覚えていたのだそうです。

 

  • 徳山(現:周南市)は住みよい街

親戚が周南市に住んでいるため、よく帰省するという宇多さんに現在の印象を伺いました。

「新幹線があるから帰りやすいですね。今は随分変わっていて戸惑いますが、海と山がはっきりした土地だから、どこに何があったのかと察しが付きます。商店街を歩けば、知っている名前のお店もありますし。徳山は小ぢんまりした地方都市だから住みやすいと思います」

  • 宇多さんの人生観

 

今回の取材で宇多さんの人生観に触れることができました。

「昔は空を見て明日は雨が降りそうだとか、寒くなりそうだとか察知して次の日の予測を立てていたんですよ。今は天気予報を当てにするけど、観天望気も大事です」と話します。

観天望気とは、自然現象を観察して天気を予測することをいいます。

文明の利器に頼りすぎる現代人は、観察力や洞察力、自分自身で考える力を高めることが大切だと感じると共に、四季を楽しみながら何気ない日常を慈しむ時間も必要なのではないかと思わせられました。

 

また、折に触れ「私は生まれてから意地悪な人に出会ったことがないんです。身内にも恵まれていたし、周りの人もいい人ばかり」と話す、気さくで温かい人柄の宇多さん。そんな宇多さんに、誰もが心を許し多くの人が惹きつけられるのではないでしょうか。

 

百歳は花を百回みたさうな

04.関連リンク

執筆時期

2023年2月

記事:西山優歌 写真:高木美杜

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